妓生は朝鮮の王に仕えるもの 1919年、高宗の死を機に3月1日にソウルで万歳運動がおこり、それは全国に拡散していった。京畿道水原でも16日から「独立万歳」と叫ぶデモが始まり、23日には駅周辺でのその規 [...]…
父との亀裂 許成淑は中国の吉林、安図縣の農民家庭で生まれた。貧しさから学校もまともに通うことができなかった彼女は、幼いころから山菜摘みや薪拾い、芝刈りなど家の手伝いをしながら育った。許成淑が暮らす東満 [...]…
朝鮮看護婦協会の設立 韓晨光が務めていた泰和診察所では1924年5月3日、生後3カ月から5歳までの幼児を対象にした無料健康診断を行った。この時、主催側の想像をはるかに超える500人の子どもたちが集まり [...]…
近代医学と看護学を学ぶ 1914年「産婆規則」と「看護婦規則」が制定され、免許制度が始まるなど、助産師は植民地期も解放後も女性保健医療専門家として認められ、社会的に重要なポストを占めていた。その先駆者 [...]…
あらゆる反対をおしきり 白信愛の父は、米穀を取り扱う永川でも有名な大商人であった。 父は、一人娘をとてもかわいがったため病弱な娘が学校に通うことを許さず、叔父に頼み漢文を学ばせた。そのため信愛は2年遅 [...]…
女性専門医の必要性を知る 吉貞姫はソウル楽園洞で一男二女の二番目の娘として生まれた。10代の初め父と死別し、祖父の手で育てられた。姉は早くに結婚し新式教育を受けられず、弟は幼くして亡くなったため祖父は [...]…
孫秉熙との出会い 平南肅川で男兄弟のいない一人娘として生まれた朱鈺卿は、貧しさのため8歳のとき、平壌妓生学校に入学した。 妓生学校では国語、作文、会話など基本教養から書画、歌、舞踊などを教わり、彼女は [...]…
馬にのる妓生 玄桂玉は慶尚北道達城出身で早くに両親と死別し、17歳で大邱妓生組合に入り妓生になる。彼女は洗練された容姿に風流歌舞も優れ、漢文にも秀でていたためあっという間に人気を博し、大邱の名妓と呼ば [...]…
彩色画の師門下 日本植民地時代、代表的な女性画家といえば羅蕙錫 (1986-1948)が挙がるであろう。1900年代初頭、朝鮮に西洋画が入ってきた以後、20年代の朝鮮では西洋画導入期であり、羅蕙錫を筆 [...]…
経済学を学ぶ 崔英淑の父は、農業から反物商に切り替え相当な財産を築いたため、娘英淑は幼いころから裕福な家庭で育った。普通学校をいち早く優秀な成績で卒業した英淑は、中等学校には14歳以上からしか入れなか [...]…