公式アカウント

〈歴史を背負って生きる 12〉祖国の土に(上)

2011年8月10日、京都から帰国した女性同盟京都南支部の高五生顧問が今年1月16日、平壌で他界した。享年94。 昨年9月、祖国訪問中だった女性同盟京都本部の康京姫委員長と平壌ホテルで面会した。「足腰…

〈歴史を背負って生きる 9〉元ハンセン病者の苦難(上)

過酷な植民地支配、貧しさゆえの渡日。しかし、ここでも極貧生活を強いられ、ついには当時、不治の病とされていたハンセン病に侵された李乙順さん(89)。

〈歴史を背負って生きる 8〉学びの欲求(下)

2006年の春、大阪市生野区にある東生野夜間中学校を卒業したばかりの在日1世を取材したことがあった。高己南さんは当時78歳。71歳の時から8年通った。毎週月曜日から金曜日まで、日課は午後5時から8時5…

〈歴史を背負って生きる 7〉学びの欲求(上)

「今、オモニは80歳を越えんとす/若き日に奪われし文字とり戻さんと/エンピツ持つ手ももどかしく/広告の裏紙になめくじの這うごと/たどたどしき文字書いて口ごもる/「この字何ちゅ?」と訊くオモニ尊し/…/…

〈歴史を背負って生きる 6〉困窮の中で

1910年代から1940年代まで朝鮮女性の就業者は、90%以上が農水産業に集中していた。女性就業者のうち工場労働者は1%程度に過ぎなかったが、職種によっては、その占める比率は小さくなく、工業部門におけ…

〈歴史を背負って生きる 5〉機織り

40年余りを民族教育の現場で過ごした兵庫県尼崎市に住む李玉禮さん(88)が、退職後に取り組んだ創作人形の仕事。10余年間に、一つひとつ手仕事で作った人形は100体を数えるという。李さんの創作人形の特徴…

〈歴史を背負って生きる 4〉農村の就学率

記者が取材したハルモニたちの中で、幼少期に学校に通えた女性もわずかにいるが、しかし、全体の中ではごく少数だった。当時、朝鮮半島では初等教育機関である普通学校に上げてもらえなかった少女が圧倒的に多かった…