「朝鮮人のくせに」 長い記者生活を振り返って、最も印象深い取材は、同胞ハンセン病の元患者たちとの出会いであった。国立ハンセン病療養所多磨全生園の鬱蒼とした森の小道を抜けて李衛(国本衛)さんの住まいを訪 [...]…
苦労の多い結婚生活がスタートした。3人の子どもが生まれたが、そのうえに幼い小姑2人の世話も肩にのしかかった。戦争末期で、食べる物も着る物も、手に入らない時代。李さんは過酷な運命から逃げずに、懸命に生き [...]…
過酷な植民地支配、貧しさゆえの渡日。しかし、ここでも極貧生活を強いられ、ついには当時、不治の病とされていたハンセン病に侵された李乙順さん(89)。…
2006年の春、大阪市生野区にある東生野夜間中学校を卒業したばかりの在日1世を取材したことがあった。高己南さんは当時78歳。71歳の時から8年通った。毎週月曜日から金曜日まで、日課は午後5時から8時5 [...]…
「今、オモニは80歳を越えんとす/若き日に奪われし文字とり戻さんと/エンピツ持つ手ももどかしく/広告の裏紙になめくじの這うごと/たどたどしき文字書いて口ごもる/「この字何ちゅ?」と訊くオモニ尊し/…/ [...]…
1910年代から1940年代まで朝鮮女性の就業者は、90%以上が農水産業に集中していた。女性就業者のうち工場労働者は1%程度に過ぎなかったが、職種によっては、その占める比率は小さくなく、工業部門におけ [...]…
40年余りを民族教育の現場で過ごした兵庫県尼崎市に住む李玉禮さん(88)が、退職後に取り組んだ創作人形の仕事。10余年間に、一つひとつ手仕事で作った人形は100体を数えるという。李さんの創作人形の特徴 [...]…
記者が取材したハルモニたちの中で、幼少期に学校に通えた女性もわずかにいるが、しかし、全体の中ではごく少数だった。当時、朝鮮半島では初等教育機関である普通学校に上げてもらえなかった少女が圧倒的に多かった [...]…
大阪ではいまでも、在日朝鮮人が多く居住しているところ。植民地統治下の1930年(昭和5年)には在日同胞の約23%にあたる7万人が住んでいた。大阪府が1932年に、大阪市内に一戸を構えている朝鮮人の調査 [...]…
女性同盟北海道札幌支部顧問・全花子さん 福々しい姿と穏やかな微笑み。北海道札幌で暮らす全花子さんは84歳の高齢だが、タブレットを自由に操る。メールで送信されてきた3歳になったばかりの東京に住む曾孫(双 [...]…