1923年9月1日、当時14歳の少年福地誠一は、東京市深川区(当時)で関東大震災に見舞われる。家を失い、度重なる余震と迫りくる炎から逃れながら、家族と共に崩壊した街をさまよう。そのさなか、「鮮人と主義 [...]…
(3)各地における民衆による虐殺状況 関東各地での朝鮮人虐殺の状況を呈示するといっても、本連載の「はじめに」で述べたように、体験談や目撃記、伝聞記録の多さは他の地震、火災記録の追随を許さないものがある [...]…
4. なぜ、民族犯罪と言うか ▲民衆が朝鮮人に的を絞って虐殺 私が関東大震災時の朝鮮人虐殺を民族犯罪と呼ぶ所以は、日本民衆が特定したある一つの民族、この場合は、朝鮮民族に的を絞って大虐殺を敢行したから [...]…
最近、関東大震災時の朝鮮同胞虐殺問題と関連して、陸軍の明確な関与を裏付ける証拠文書が公表されて大きな関心を呼んでいる。すなわち、東京都公文書館所蔵の、当時の関東戒厳司令部がまとめた「震災後警備ノ為兵器 [...]…
(3)流言の伝達 大震災の朝鮮人虐殺事件でまず問題になるのは、大虐殺の直接の契機となった「朝鮮人暴動」流言は誰の発想になり、誰が発布し、どう伝達されたのか、ということである。 ■…
この2人(警保局長後藤文夫、警視総監赤池濃)の証言は実に重要である。 つまり、数十万の大群衆の極度の混乱状態を目撃した治安当局者は、「不祥の事変を生ずるに至るべき」に恐怖感を持ち、「尋常一様の警備を持 [...]…
3. なぜ、国家犯罪というか(とくに戒厳令問題) 大震時の朝鮮人虐殺問題をなぜ国家犯罪と言うのかの理由は、(1)国家権力の中枢である内務省が、戒厳令発布を朝鮮人暴動流言と結びつけたこと、(2)朝鮮人暴 [...]…
はじめに(下) 大火最中の阿鼻叫喚はいうまでもないが、鎮火直後のただ一面の焼野原には、無数の死骸が山のように重なり、川という川には数えきれぬ死体が流れていた。そして、ようやくにして死は免れたものの、飢 [...]…
はじめに(上) 日本の近代史と現代史の分岐をなすのは、1923年9月1日の関東大震災であるとは定説化された見方である。私は、侵略と殺戮にまみれた日本現代史は関東大震災時の朝鮮人虐殺に始まると考えている [...]…