高麗人蔘の自生地であるウリナラではいつごろからどこの地域で誰により栽培が始まったのだろうか。はっきりした資料が見当たらないのである。…
人蔘の花はとても小さくてかれんな形をしている。開花の時期が短いので見逃すことが多い。栽培人蔘は一般的に3年生から花がつき始める。3年目に茎の中央から分かれ出て、その先に花のつく短い柄の部分・花梗が出て [...]…
山で山蔘を見つけようとするなら葉っぱの形を見て探す他はない。山中にあるウコギ、タラノキ、山ウルシ、モチノキの葉などは山蔘の葉とまちがいやすい。山蔘の葉は葉っぱの色が黄色味を帯びた薄い緑色をしているが、 [...]…
2002年6月FIFAワールドカップを記念して上野の東京国立博物館でウリナラの貴重な文化財を展示した「韓国の名宝」展が開かれた。三国時代の金製品、各時代の仏教美術、高麗、朝鮮王朝時代の陶磁器や絵画、書 [...]…
人蔘の根は宿根性の肥大根で脳頭(蘆頭・地下茎)、主根と支根、細根からなる。そのほとんどは主根と2~5個の支根からなっていて微黄白色を帯びている。根の形を左右するものは土壌の環境、つまり理学的性質と雨す [...]…
古来、人蔘は人の体に似たものほど尊重され、今日でも形のよいものほど商品価値が高いとされている。 山蔘の値段は長さ、見た目、太さ、年数などで違うが韓国漢方薬店の話では30年から50年もので300万ウォン [...]…
高麗末期忠烈王3年(1227年)から元の度重なる要請で人蔘は乱獲され人蔘の自生地はだんだん少なくなってきた。朝鮮王朝に入り国は山蔘の産地に採取を禁じる封標を建てたが、効果はなかった。…
日本における人蔘栽培は外来種である人蔘を日本に移し植えて農業化する過程であったがそれは人蔘の生態を知りえないまま、まったくの手探りで行われたものであった。 本家である朝鮮では5000年前から山で山蔘が [...]…
戦国時代の武将達は戦いに明け暮れながらも健康維持には格別の注意を払っていた。家康は人蔘を常に携帯し常用していたし、戦国時代、秀吉を天下人にして疎まれると引退してしまった黒田官兵衛は茶の湯と朝鮮人蔘の栽 [...]…
家康の政策を背景として慶長14年(1609)、対馬領主宗はいち早く正式に幕府の許可を得て、朝鮮との貿易条約を結んだ。その条約は乙酉条約と呼ばれている。対馬藩では藩に朝鮮係を置き、釜山に対馬屋敷を設けて [...]…