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〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 34〉「日鮮同祖論」や「他律性」史観が跋扈

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 34〉「日鮮同祖論」や「他律性」史観が跋扈

朝鮮の悠久な歴史を根こそぎ否定 日帝の朝鮮植民地支配の基本方針は、「抹殺」と「同化」であった。朝鮮の悠久な歴史を否定し、そのことを語るすべてのものを根底から抹殺しようとした。また朝鮮人の伝統的な風俗や [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 33〉古墳の乱掘に関わった総督府の御用学者たち

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 33〉古墳の乱掘に関わった総督府の御用学者たち

朝鮮文化の「学術的解明」に「寄与」と嘯(うそぶ)く 朝鮮総督府が植民地支配の全期間に行った「古蹟調査事業」は、古蹟の保存と学術調査の大義名分を立てての文化財の略奪と破壊そのものだった。 当時の東京帝国 [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 32〉辛うじて残った金銅弥勒菩薩半跏思惟像

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 32〉辛うじて残った金銅弥勒菩薩半跏思惟像

日本人骨董商から買い戻した李王家 朝鮮総督府の朝鮮文化財収奪政策を推進した関野貞自身は、朝鮮文化財の所持者でもあった。後の所蔵調査によれば仏像も8体所持していた。彼は1902年の早い時期に朝鮮に渡り、 [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 31〉中央・地方の美術館に三国時代の仏像

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 31〉中央・地方の美術館に三国時代の仏像

欠落する朝鮮の貴重な文化遺産という視点 朝鮮は古代仏教芸術品の宝庫である。仏教が、中国から朝鮮に伝来したのは、高句麗時代の小獣林王2年(西暦372年)の時で、中国人僧・順道が仏像、経文を初めてもたらし [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 30〉日帝の銃弾、大砲に成り果てた朝鮮鐘

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 30〉日帝の銃弾、大砲に成り果てた朝鮮鐘

「金属強制供出令」で多くが犠牲に 朝鮮鐘に限らず、日本所在の朝鮮文化財の数量はいまだに正確な数がわからない。 問題は日本へ流出した原因である。朝鮮鐘を新羅時代、高麗時代と時代区分して様式や銘文、装飾模 [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 29〉「朝鮮に存するものは、わずか二口」の朝鮮鐘

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 29〉「朝鮮に存するものは、わずか二口」の朝鮮鐘

18回、朝鮮を訪問した伊藤博文も略奪か 朝鮮に現存する朝鮮鐘の中で、名鐘中の名鐘といわれるのが、慶尚北道慶州の奉徳寺の梵鐘である。この鐘は「聖徳大王の神鐘」と称され、新羅の第35代景徳王が死去した父の [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 28〉江戸時代の日本人が神仙の如く仰ぐ

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 28〉江戸時代の日本人が神仙の如く仰ぐ

日本の侵略によって、ほぼ焼失した李朝絵画 関野貞は李朝絵画が、江戸時代の日本人から「神仙の如く仰がれた」のを知っていたのかどうかはわからないが、自著で「余は李朝絵画につき充分な研究を試みておらぬ」と前 [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 27〉日朝関係を多彩にした江戸の朝鮮通信使

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 27〉日朝関係を多彩にした江戸の朝鮮通信使

朝鮮画を認めぬ植民地時代の御用学者ら 脇本十九郎は東京・国立博物館次長、東京藝術大学教授を歴任した人物だが、「日本水墨画に及ぼせる朝鮮画の影響」「美術研究」1934年4月号)で、日本人が朝鮮絵画に「冷 [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 26〉李朝仏画の最高傑作、ほとんど日本に秘匿

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 26〉李朝仏画の最高傑作、ほとんど日本に秘匿

明治の元勲ら、威光を笠に強奪に等しい収集 現在、東京の日野原家が所蔵している高麗仏画の最高傑作品「十一面観音像」は、転々と所蔵が変わった経緯についてのエピソードが残されている。 大岡力は「朝鮮の絵画に [...]…

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 25〉秀吉の侵略と日帝時代の略奪が主な要因

〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 25〉秀吉の侵略と日帝時代の略奪が主な要因

朝鮮に現存せぬ仏教美術の精華示す高麗仏画 高句麗壁画を端緒とする朝鮮絵画は、新羅、百済の三国時代を経て、西暦918年に建国された高麗王朝で特に仏教画として昇華した。 この時代は絵画面ばかりでなく、科学 [...]…

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