金弘道は、少年の頃から当代一流の画家であり知識人であった姜世晃(1713~1791)の指導を受け、その縁で優れた知識人と交流し、ソンビ(士人)的教養と自尊心を養った。師の姜世晃は「金弘道は人品が清く優 [...]…
金弘道は、中国絵画の主流となっていた山水画をまねて、わが国の平凡な画家がしきりに描いた空想的な山水画を描くことはなかった。 彼の多様な作品を貫いていたのは、生活し、働いている当代社会の名もない人々を主 [...]…
金弘道は、働く人がどんな道具や材料を持って、何を作っていくのかを正確に描いている。これは、近世以前の画家としては、ごく珍しい態度といわねばならない。…
これは慶州の新羅時期の王家の古墳から出土したもの。立派な金鈴、金冠、漆器、馬具などと共に出土した。この威風堂々たる騎馬人物像を見られよ。前回の「歌う人」は地方の素朴な工人の手になったものであるが、これ [...]…
1937年春、扶余の窺岩面の百済寺院趾で150余個の文様が発掘された。いずれも百済後期のすばらしい文様(=宮殿や寺院の壁を飾る紋様のあるタイル)で、蓮華文や渦雲文、鬼形文や・竜文などの秀作の他に、珍し [...]…
百済は仏教を受け入れ、寺院を初めて建立した時は、高句麗にならって中国の望楼式木塔を仏塔としたのであるが、次第にそれは朝鮮に豊富にある石材による石塔になっていった。…