義慈王の横暴な仕打ちで父が無念に世を去った後、彼もやはり、国の安全のために働こうとしている矢先に、王の兵卒たちの手によって傷を負い、田舎に下っていた。 だが、黄山の原に侵略者が攻めてきたというので、と [...]…
階伯は死を覚悟していたのであった。 彼は、大剣をさっと振り上げ、誰も留め立てする間もなく、その場で夫人と子どもの命を絶ってしまった。可愛いわが子であり、愛する夫人である。だが、階伯は雑念を一気に振り払 [...]…
660年、遂に事件は起きてしまった。唐と手を結んだ新羅軍が百済侵攻を開始した。 慌てふためいた義慈王は、大臣たちを呼んでどうすればよいのか話してみよと迫った。 何人かの大臣が自分の考えを義慈王に言上し [...]…
冷え冷えとした秋風が吹くなか、高官顕職の数人が後宮の東屋に集まり座っていた。 彼らは一様に謹厳な面持ちで、深い愁いに打ちひしがれている様子であった。 酒色で月日の経つことすら見分けがつかない義慈王のこ [...]…
義慈王は、再び遊びに溺れてしまった。そうして660年7月、新羅と唐の連合軍が百済に攻め込んできた。 成忠の予言に間違いはなかった。 敵が侵入してくるルートも、すべてその通りであった。新羅・唐軍が侵入し [...]…
(ああ、この国はこれから先どうなるのか! 迫りくる危機をどう回避するというのか) 牢獄につながれた老人の思いは、ただこのことだけであった。 義慈王は、次のように成忠の罪状を挙げた。…
「王様に申し上げます」 にわかに目玉が硬直した義慈王は、不満そうに見下ろした。 「何事だ? 楽しい春の日に…」 義慈王は、成忠がまた諌言を呈するべくこうして進み出たことを、余りにもよく知っていた。しか [...]…
3月も終わろうとしていたある日、大王浦の丘では迎春の会の真っ最中であった。大きな日除けを張り、宮女たちがこぞって集まり、名も知れぬ様々な料理にかぐわしい酒が甕ごとになみなみと満ち溢れていた。数百の召使 [...]…
百済においては建築と医学技術も発展した。 とくに注目されるのは、天文学と気象学の発展である。百済の天文学者たちは彗星、流星、惑星などにについて、現れた日付けと時間、位置と方向、大きさを逐一記録しておい [...]…
温祚は、兄を快く迎え宮殿で一緒に暮らすようにした。 しかし、沸流は弟に合わせる顔がなかった。海に好奇心を持ち弥鄒忽に都を定めたものの、風が強く風浪は激しかったし、塩水が浸み込んで湿り、農作物がうまくで [...]…