「絵に生かされている私」 全さんは神奈川県で来春50回展を迎える日朝友好展の実行委員長として7年間、その重責を担ってきた。副委員長や事務局長時代を含めると半生を捧げてきたといっても過言ではない。 「絵 [...]…
祖国の山河へ尽きぬ愛 「とにかく小学校6年の間に引越しを12回以上。だから、姉と2人で転校して、同級生たちに朝鮮人とわかる前にまた転校するから、いじめられる間もなかった」と幼い頃を振り返る鄭日鮮さん。 [...]…
「教師冥利に尽きる」 有機化学を専攻した朝鮮大学校元教授の申在均さん(80)が、このほど「有機化学とともに―愚直な在日朝鮮人化学者の回想」と題する自伝を刊行した。 申さんは1931年、東京・足立区で生 [...]…
火薬庫の跡地から出発 女性同盟神奈川・南武支部顧問の任栄仙さん(76)は、1948年4月に東京朝鮮中級学校に入学した頃の強烈な思い出が忘れられない。 「校舎は旧日本軍の火薬庫跡に建てられたもの。当時は [...]…
主席の愛に導かれて 商品の開発と経営に当たる夫の傍らで、3男3女を産み育てながら、もっぱら、注文や営業を一手に引き受け、裁いたのが、金さんだった。「夫は勉強もしたのに、騙されたこともあったが、私は一度 [...]…
「戦争はもうたくさん」 青々とした海原に四方を囲まれた美しい島、済州島。1924年、済州邑吾羅里に生まれ、17歳で結婚。42年、18歳で来阪するまでこの島で暮らした金甲生さんは、3月5日、大阪・鶴橋の [...]…
戦時下、母子で生き抜く 岩手の同胞社会はもちろん、日本の人々の間でも名士として知られる夫の崔碩文さん(88)は、朝聯、民戦岩手議長を経て、総聯岩手県本部委員長などを歴任。半世紀にわたって第一線で活動し [...]…
「朝鮮人だって勉強する権利がある」 愛知県名古屋市内のマンションに1人で暮らす金弘善さん。91歳とは思えないほどしっかりとした足取りで玄関先に記者を出迎えたかと思うと、力強く腕をつかみ、慶尚道なまりの [...]…
祖国の懐こそ「幸せの泉」 3月半ばの米寿のお祝い。ひ孫まで含めた4世代54人の一族が一堂に会してホテルの宴会場でにぎやかに行われた。それから一カ月も経たない4月4日の日曜日、今度は孫やひ孫のウリハッキ [...]…
平壌-東京結ぶ赤い糸 太平洋戦争の激化にともない、横浜国立大学を半年早く卒業した1942年春、金さんは建設大手の竹中工務店東京支店に入社。日本敗戦直後には、GHQの命で都内の病院の改修工事に当たったこ [...]…