国家の指導理念に 異次鈍の白い血が流れた後新羅では仏教信仰の自由が保障され、528年に法興王は殺生を禁ずる令を出した。新羅仏教は24代眞興王(540~576)の時代になり大きく発展した。仏教を公認した [...]…
異次鈍の殉教後、仏教の公認へ 新羅は古朝鮮の遺民たちが南下してつくった辰韓12小国の一つ斯盧国(慶州地方)をもとに成立した。朝鮮半島の東南端に位置して王権の確立と国家の統一が遅れ、新羅が高句麗・百済に [...]…
造形の最高の美しさ 重厚な扶餘定林寺址五層石塔(国宝9号・高さ8.33メートル・忠南)と彌勒寺址石塔(国宝11号・高さ14.24メートル、全北益山)は、現存する百済の代表的な建築物であり、仏教建築が到 [...]…
律典を完成させた謙益法師 中国の史書にも百済には僧と寺院・塔が多いが道教の人はいないと記されたほど(僧尼寺塔甚多而無道士「周書」19巻列伝41)、百済では仏教が盛んであった。…
「仏教を信じて福を求めよ」 百済の建国神話では高句麗・朱蒙の子温祚が兄の沸流と共に馬韓の地・漢江流域の慰礼城(今のソウル北漢山付近)に百済を興したとされる。しかし、楽浪郡を制して南下してくる高句麗の圧 [...]…
高句麗仏教の隆盛は当時つくられた寺院、仏像、古墳壁画などからうかがえる。仏像の銘文には賢劫千仏(多くの賢人が現れて衆生を救うとされる)、弥勒菩薩像(釈迦の予言により56億7千万年後にこの世に現れるとさ [...]…
民衆の信仰心と共に 朝鮮に初めて仏教が伝えられ公認されたのは高句麗小獣林王2(372)年のことだ。それから仏教は1700年にわたって朝鮮民族の生活文化に根差し、自然崇拝の信仰から人間本来の価値と自我に [...]…