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〈朝鮮仏教と私たち 13〉日本への伝法(2)

飛鳥仏教への指導的役割 古代日本仏教を支えたのは百済・高句麗・新羅三国の仏教であった。そして、飛鳥仏教の成立に指導的役割を果たしたのは高句麗と百済の僧であった。

〈朝鮮仏教と私たち 10〉伽耶の仏教

三国より早い伝来か 1世紀中葉、伽耶国(42~562、慶尚道金海・咸安・咸昌・高霊・星州・固城地方にあった六伽耶の連合体)が成立したが、その歴史はいまだ解明されていない。駕洛国が成立した時期、三国の仏…

〈朝鮮仏教と私たち 9〉新羅の仏教(3)

盛んな文殊信仰 圓光(555~638)は中国に留学した高僧で、国家の重要施策についてもしばしば王から諮問を受けるほどの指導的な地位についていた。

〈朝鮮仏教と私たち 8〉新羅の仏教(2)

国家の指導理念に 異次鈍の白い血が流れた後新羅では仏教信仰の自由が保障され、528年に法興王は殺生を禁ずる令を出した。新羅仏教は24代眞興王(540~576)の時代になり大きく発展した。仏教を公認した…

〈朝鮮仏教と私たち 7〉新羅の仏教(1)

異次鈍の殉教後、仏教の公認へ 新羅は古朝鮮の遺民たちが南下してつくった辰韓12小国の一つ斯盧国(慶州地方)をもとに成立した。朝鮮半島の東南端に位置して王権の確立と国家の統一が遅れ、新羅が高句麗・百済に…

〈朝鮮仏教と私たち 6〉百済の仏教(3)

造形の最高の美しさ 重厚な扶餘定林寺址五層石塔(国宝9号・高さ8.33メートル・忠南)と彌勒寺址石塔(国宝11号・高さ14.24メートル、全北益山)は、現存する百済の代表的な建築物であり、仏教建築が到…

〈朝鮮仏教と私たち 5〉百済の仏教(2)

律典を完成させた謙益法師 中国の史書にも百済には僧と寺院・塔が多いが道教の人はいないと記されたほど(僧尼寺塔甚多而無道士「周書」19巻列伝41)、百済では仏教が盛んであった。