妄想でしかない 6月15日の本紙で書いたように、私はフリーランスとして、アジア・サッカー連盟の許可を得て6月8日、バンコクのスパチャラサイ競技場で行われたサッカーの2006年ワールドカップ(W杯)アジ [...]…
「毎日体を動かして、信者さんに喜んでもらう」 大阪市天王寺区の和気山統国寺に住む李王絢さんの日課は、毎朝6時に本堂の掃除をすることから始まる。掃除が終わると水をかえて線香をあげ、納骨堂へと向かう。暑い [...]…
われわれは今回、祐天寺にある朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿を通じて確かめた犠牲者を2003年末に公開された朝鮮人強制連行犠牲者に関する42万余人の名簿から探してみた。 犠牲者キム・ジョンピョは「被徴用死 [...]…
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、同胞社会にも甚大な被害と犠牲をもたらし、数百人の同胞の命を奪った。人々が悲しみにくれ、将来に不安を覚えるさなか、「相生平和記念碑」(韓国朝鮮人無縁仏之 [...]…
「忘れられない少年の死」 鉄原洋酒工場で酒樽配達員として働いていた父は、1941年9月のある日、悪質な日本人監督と争ったことが「罪」となり、郡警察署に連行されて拷問を受け、釈放から2日目に亡くなった。 [...]…
「生き残ったのは41人だけ」 1943年10月、小学校を卒業した私は、日本人が15~18歳までの青少年労働者を募集する「広告」を平壌で見かけた。そこには、「待遇もよくさまざまな面で優待される。専門技術 [...]…
解放後、父と一緒に連行され、九死に一生を得た同僚たちから父が日帝によって無残に殺されたとの悲報に接した母は、その場で気を失って倒れ、その翌年死亡した。その後、私たちは父の法事を遺骨もないまま行ってきた [...]…
1990年3月、大阪の統国寺で遺骨返還法要が営まれ、同胞の遺骨2柱が岡山県立倉敷中央高校の生徒たちによって南朝鮮の遺族に届けられた。 同校社会問題研究部の生徒たちは、活動過程で、県内に強制連行され犠牲 [...]…
「甘言を弄して騙した」 私が8歳の時、祖母と両親、8人の兄妹は口に糊することすら難しかったため、故郷を離れ慈江道慈城郡に移り住んだ。しかし、ここでも両親は貧農として働くのが精一杯で生活は相変わらず苦し [...]…
総聯新潟県本部と祖国往来記念館に対する固定資産税及び都市計画税減免措置を新潟市が撤回、課税したことを不当だとして、総聯県本部と祖国往来記念館管理会が起こした訴訟(3月25日)の第1回口頭弁論が5月23 [...]…