前号につづいて、わが国の姓氏の種類を列挙する。…
では、わが国の姓氏の種類について、具体的に見ていくことにしよう。 この問題について、李朝時代の「陶谷叢説」(李宜顕著)は、わが国の姓氏数を約300姓とみなし、その姓氏が広く知られ、人口数も多いという意 [...]…
まずはじめに、現代におけるわが民族の姓氏数を確かめておこう。 最近、朝鮮の歴史学者であるチョウ・フィスン氏は、李朝時代の「★(央の下に皿)葉記(アンヨプキ)」(李徳懋著)が、わが国の姓氏数を486姓と [...]…
李朝時代に入って、姓氏を使用する社会的動向は大きな前進を遂げた。それを裏づけるものは、第1に、各氏族による「族譜(チョクポ)」の作成であり、第2に、姓氏に関する記録文献類の出現である。 わが国最初の体 [...]…
1392年7月、高麗の恭譲王(コンヤンワン)を退位させた李成桂(リ・ソンゲ)は、自ら王位に就いて国号を「朝鮮」と改め、その翌年、首都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン)へと移した。 以来約500年、朝 [...]…
わが国の統一封建国家時代は、高麗王朝と朝鮮王朝の2つの時期を包括するが、姓氏の変遷史から見ると、画期的な進展が生まれたのは高麗時代である。 それはひと言でいって、檀君朝鮮以来、姓氏を用いたのは王侯貴族 [...]…
高麗の太祖・王建(ワンゴン)は、建国後18年の歳月をかけて後期新羅・後百済などを統合し、936年、朝鮮史上初の民族統一国家を樹立する歴史的偉業を達成した。 以来約500年間、この高麗が旧高句麗の後をつ [...]…
三国時代が終わりを告げたのは、覇権を争う新羅が唐帝国と連合し、660年に百済を、668年に高句麗を滅亡させたからである。 しかし、新羅は大同江以南を統合しただけで、北部では旧高句麗の遺民たちが大祚栄( [...]…
漢字の音訓を利用して朝鮮語を表記する吏読(リドゥ)文字は、わが国の姓名表記にどのような影響を与えたであろうか。 まず高句麗の場合を見ると、始祖王・朱蒙(チュモン)の建国説話の中に、彼が新しい土地を求め [...]…
では古代朝鮮三国の支配層は、中国との政治的関係と経済・文化的交流をつうじて、まさに奔流のごとく流入する漢字文化をいかに咀嚼(そしゃく)し、どのように活用したのであろうか。 これについて注目されるのは、 [...]…