高句麗の初めての首都である卒本は、今日の中国遼寧省桓仁県付近である。そこの五女山(海抜820m)にある昔の高句麗山城は、周りが2,440mで比較的大きな山城だ。 この山城は東、西、南側は大きく平たい石 [...]…
この時、句麗の北に位置していた靺鞨族が、機会あるごとに句麗に入ってきては民の生命や財物を奪っていた。朱蒙は、部下と共に召西奴の助力を得て靺鞨族を制圧し、降伏させた。これによって朱蒙の名声はいっそう高ま [...]…
「まごわやさしい」という言葉をご存知ですか? 健康な体を維持するのに、すすんで摂りたい食材の頭文字をとったものです。 ま・豆、ご・ごま、わ・わかめ(海藻類)、や・野菜、さ・魚、し・椎茸(きのこ類)、い [...]…
中野重治の、敗戦直後における朝鮮人への同情や親近感、連帯と共闘の意識の一方では、植民地支配者、加害者としての自覚を欠いた、蔑視的な朝鮮人描写が登場していたこと、またそれらはサンフランシスコ条約・日米安 [...]…
漁夫と樵夫(きこり)が道で出会い、楽しそうに会話を交わしながら歩いている。 一方は長い釣 を、そして樵夫は天秤棒を持っている。この二本の強い斜線の中央に、それぞれの顔があるために、二人の顔、とくにその [...]…
18世紀のわが国を代表する画家は金明国(1600~1662以後)であろう。号は蓮潭または酔翁といい。画員に選ばれ、その教授となった。彼は山水と人物をともに良く描き、また「達磨図」のような優れた禅宗画を [...]…
わが国の大学者、栗谷・李珥(リイ)(1536~1584)の母親として有名な申師任堂(1504~1551)は知的な家庭に育ち、父からは学問、そして母からは女性としての教養を学んで賢婦人となった。 19歳 [...]…
7人の王子たちは朱蒙を妬むあまり、彼を大きな木にしばりつけ、獲物を奪って宮殿に帰ってきてしまった。しかし朱蒙は、自分が縛られていた大きな木を根こそぎ引き抜いたまま家に戻ってきた。これに危惧を感じた王子 [...]…