総聯結成後に音楽教科書がはじめて編纂されてから約60年間、朝鮮学校に通った子どもたちが必ず口にしたと言ってもいい歌がある。「ピヤピヤオノラ」は、当時から現在まで発行された教科書に欠かさず掲載されてきた [...]…
1949年3月。民族教育弾圧の爪痕が色濃く残る校舎に60余人の生徒が集い、卒業式が挙行された。そのときに演奏された歌は「惜別の歌」だった。明るい行進曲調のその歌は、この先も日本社会でさまざまな困難に直 [...]…
民族の音色でウリナラの姿を 1986年7月に結成された大阪朝鮮民族楽団。のちに「伽樂」という名前が付けられる。現在所属している団員のうち、唯一の初期メンバーである李千鶴さんが団長を務めている。 「伽樂 [...]…
ふと目にとまった写真。1950年代前半に撮影されたという「青年学校」の風景だった。青年たちが集まり、歌を習っている。目を凝らして黒板に書かれた歌詞を読み取ると、朝鮮戦争のさなか、1950年に創作された [...]…
「ふたたびやってくる、4.24の日が、血に染まった怨恨の日が…」 これは民族教育弾圧に抵抗する歌謡として創作された「4.24のうた」の冒頭の歌詞だ。近年では留学同学生によって上映された演劇「チョゴリ」 [...]…
在日朝鮮人の歴史を振り返るとき、いつもそこにあって、かたときも欠かさなかったものがある。民族教育と歌だ。そもそも朝鮮人と歌という話題は、語り出せば終わりがない永遠のテーマでもあるが、「解放」後70年以 [...]…
西東京第1初中の韓智由さん(初4、むさしの音楽教室)が、2月14日、よみうり大手町ホールで開催された第6回日本バッハコンクール全国大会で金賞を受賞した。 小学3、4年生の部に出場した韓さんは、日本各地 [...]…
150人大合唱が実現、輝く瞳に思う 昨年11月6日、在日朝鮮学生中央芸術コンクール・声楽部門の後に行われた出場者、関係者による「交流会」。あの時のことを考えると、今でも胸が温かくなる。 近年、恒例とな [...]…