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〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(7)

「なりません。虎穴に、しかも単身で乗り込んでいくなどあってはならないことであります」 それでも、乙支文徳は泰然自若だった。 彼は、敵陣に入った時から陣中を注意深く探った。

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(6)

陸軍の到着だけをじりじりしながら待っていた敵の水軍大将、來護児は自分たちの水軍だけでも鳳皇城など造作ないと大言壮語しながら、4万の精鋭軍を選抜して攻め込んで来た。しかし、敵は高句麗軍の誘引戦術に嵌って…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(5)

隋軍との最初の戦闘は612年3月、武厲邏(大凌河の東側)で行われた。 国の西部国境前哨基地である武厲邏城を守っていた高句麗軍は隋の先頭部隊に大打撃を与え、基本防御線である遼河の東側へと撤収した。 隋軍…

〈在日朝鮮人関係資料室〉(1) 在日同胞1、2世の血と汗と涙の結晶

1万2千件の貴重な史料 3つの特色 在日同胞の生活と運動に関する資料を収集保存するための専門機関である「在日朝鮮人関係資料室」(以下、「資料室」)が、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター内に設立され早や1年…

〈歴史×状況×言葉 33〉秋田雨雀

自然人をころし 人人をころす―関東大震災時の朝鮮人虐殺に際し、作家秋田雨雀はこううたった。それからちょうど90年を迎える今日、とりわけ「3.11」後の日本社会の状況を生きている私たちは、あらためて戦慄…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(4)

そして、特に彼は軍隊が強くなるには上下が心を合わせるべきでると主張して、兵士たちをこよなく大事にした。兵士たちの話を軽視することなく、常に彼らが訓練に熱中できるよう最善を尽くした。 高句麗の朝廷では、…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(3)

7世紀に入り、隋の統治者たちは高句麗侵略のために艦船を建造するなど、陸軍と水軍を整え、人民から軍費を取りたてようと血眼になった。 隋が戦艦建造にどれほど民衆を過酷に駆り立てたかということは、山東半島の…

関東大震災90周年特別講演会

「朝鮮人大虐殺の国家責任を問う」 関東大震災90周年特別講演会「朝鮮人大虐殺の国家責任を問う」(主催=総聯東京都本部、主管=東京朝鮮人強制連行真相調査団)が3日、東京・文京区の朝鮮出版会館で開かれ、同…

〈朝鮮歴史人物〉隋の大軍を撃退した乙支文徳(2)

今や、兎のようなものは、どんなに早く逃げても片手で捕まえることが出来た。飛ぶ鳥も同じであった。一度弓を引きさえすれば、どんなに高く飛んでいる鳥もまちがいなく石ころのように落ちた。 「ビュッ、ビュッ」 …