金一葉は、1920年代に小説、論説などを通じて女性解放を主張した第1世代女性作家であり、強靭な精神力と行動力でついには尼僧の世界に入り、社会に大きな波紋を投げかけた新女性である。 1896年、平壌郊外 [...]…
白信愛は慶北永川の巨商の娘に生まれたが、封建的な父は彼女の並々ならぬ向学心に理解を示さなかった。 5歳で漢文を習いはじめ、幼少の頃から兄の書棚にあった古今の小説を読みあさり、「早熟な子」と言われた。普 [...]…
首の長き 悲しき鹿よ いつも物静かで 言葉さえない 香しい冠いただく 君は いとも高き族屬の 身なるらし 水面の影に 見入り 失いし伝説を 偲んでは 忘れがたき郷愁に 思いつのり 悲しき [...]…
羅惠錫は絵画だけではなく、詩、小説、戯曲、随筆、評論、紀行文などバラエティに富んだジャンルに挑戦した作家でもあるが、ここでも「人間として生きたい」というアイデンティティははっきり表れている。 18歳の [...]…
波乱に富む人生 羅惠錫は、著しく個性的な自分の世界を構築した「新女性」であった。 それは第一に、高羲東、金觀鎬、金瓉永に続いて日本で油絵を勉強し、ソウルで初めて個展(1921)を開催、「朝鮮美術展覧会 [...]…
矛盾のるつぼ 姜敬愛にとって間島はどんな所であったのだろうか? 当時日本で活躍していた作家、張赫宙にあてた彼女の手紙の一節を引用してみよう。 「先生、万難を排して一度満州においでください。ここには山と [...]…
姜敬愛は、植民地時代の朝鮮を代表する女性作家である。当時、文人と呼ばれた女性のほとんどが裕福な家庭に生まれ、また日本留学をも経験したが、姜敬愛の場合はまったく違う。 貧しい農民の娘に生まれ、4歳の時、 [...]…
19世紀末、国内外の政治に深く関わり、ついには1895年、日本の手によって殺された明成王后は朝鮮史に登場する女性の中で最も知られた人物である。 これまで彼女に対する評価は、黄玹の「梅泉野録」などのよう [...]…
平壌26日発の朝鮮中央通信によると、許宗浩・朝鮮歴史学界会長(アカデミー会員・教授・博士)は朝鮮中央通信社記者と会見し、日本が不当にも領有を主張している独島について「朝鮮の不可分離の、誰も侵すことので [...]…
日本寄りの研究者、抜け落ちた視点 1905年という時期 「竹島」編入に当時の朝鮮政府は異議を唱えなかったという、日本政府や政府寄りの研究者は1人として当時の両国関係を詳しく析出しようとしない。山ほどの [...]…