崔容信は、祖国の解放は民族意識の覚せいからという信念に基づき農村啓もう運動に生涯をささげた女性である。 1909年、咸鏡南道徳源郡(現在の元山市)の貧しい家庭に生まれた彼女は、代々正しいことを重んじ、 [...]…
許貞淑は、植民地時代社会主義女性運動家、独立運動家として活動し、解放後には共和国政府の要職に就き、政治家としても活躍した女性である。 彼女は咸鏡北道明川市で、弁護士の長女として生まれた。父許憲は当時社 [...]…
「治安維持法違反」 朴鎭洪は、植民地時代治安維持法にかかり6回に及ぶ検挙、投獄、前科3犯の経歴を持つ女性闘士である。 彼女は許貞淑と同じ咸鏡北道明川市の生まれで、普通学校を卒業した年(1928)両親と [...]…
旅芸人の子 文秀一団長のひきいる劇団「演劇市場」の一行が、次の村へと旅する荷ロバの上で、1人のいたいけな幼女が居眠りしていた。あるいは、ぼろにくるまれて泣きじゃくっていたり、または1人で遊びに興じてい [...]…
はじめに 今回、拙著「関東大震災の朝鮮人虐殺-その国家責任と民衆責任-」(創史社刊、八月書館発売)を書く過程で今までの研究では意識されなかった問題に出会った。 その一つは日本の国家が虐殺した朝鮮人の遺 [...]…
自我の目覚め 朴花城は植民地時代から1980年代半ばまで60年近く「吹雪と嵐の中で、長くも遠い航海を続け」(自伝「吹雪の運河」)、振幅の大きい生涯を送った女性作家である。 全羅南道木浦で宿屋を営む裕福 [...]…
宋桂月は、女性雑誌記者として新進作家として将来を嘱望されながら惜しくも23歳の若さで息を引き取った女性である。 朝鮮が日本の植民地となった翌年の1911年、宋桂月は咸鏡南道北青郡のある漁村で生まれた。 [...]…
東京上野音楽学校卒業後、1年間尹心悳は同校で助手に籍をおいて、声楽をひきつづき学んだ。そして1923年5月初め、彼女は錦衣還郷した。 最高のソプラノ歌手 ソウル上京(母校、京城女子高普で講師)が機とな [...]…
1926年8月4日未明、下関発の関釜連絡船上から声楽家の尹心悳が劇作家の金祐鎮と玄界灘へ身を投じて心中した。有望な朝鮮の若き芸術家が荒波の花となって散っていったこの情死を、当時新聞は連日センセーショナ [...]…
妾の子 金明淳は、1920年代羅惠錫、金一葉とともに自由主義女性解放論を主張した第1世代の作家である。 1897年平壌の隆徳面で妾(妓生)の子として生まれた彼女は、南山峴学校、イエス教学校を経て、ソウ [...]…