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〈3.1独立運動100年と現代日本(上)〉東アジア「冷戦」と日本型歴史修正主義/鄭永寿

2019年03月29日 15:09 主要ニュース 歴史

推し進められる日本の軍事大国化。写真は護衛艦「いずも」(連合ニュース)

解放から74年が経とうとしているが、日本は未だに植民地支配責任を果たしていない。それは何故だろうか。3.1独立運動100年を迎えた今、旧宗主国の現状について、歴史修正主義と植民地支配責任というキーワードから考えてみたい。

100年前、「内地」において朝鮮の独立を掲げた在東京朝鮮留学生たちの「2.8独立宣言」は、日本の「詐欺、暴力」による「合併」を批判し、独立要求が受け入れられないのであれば「わが民族はただ日本にたいし永遠の血戦をなすのみである」と訴えている。かかる「血戦」の決意は、「民族の意思によるものではな」い植民地支配を一切受け入れらないという、支配に対する根本否定であった。

それから100年。朝鮮侵略当時から今日まで、植民地支配責任は追及され続けてきた。

敗戦後の日本においては、朝聯を中心に、関東大震災朝鮮人虐殺や強制連行の真相究明・責任追及、戦犯と親日派の追放、東京裁判の天皇不処罰・植民地支配責任追及不在への批判などが展開された。朝聯の強制解散と朝鮮全面戦争を経て、「日韓条約」のもとでは共和国、総聯によって新植民地主義批判が行われた。現代日本とは、これらの追及を回避・封殺しながら形作られてきたものといえよう。以下では、80-90年代以降の関連動向を振り返ることで、現代日本の特質について捉えたい。

対日責任追及

東西冷戦崩壊前後、新自由主義的なグローバリゼーションに対応した新国家主義は、国民統合のために「国民の歴史」を欲した。他民族排外主義を伴う修正主義の要請は、資本主義国におけるナショナリズムの一般的特徴ともいえるが、日本の場合はこれに加えて以下にみる責任追及に対する「反動」という側面が強い。

90年代に本格化した植民地支配および戦争の被害者による告発は、朝鮮侵略以来、封殺されながらも止まなかった一連の責任追及の延長線上にあり、90年代のみが「証言の時代」とは決していえない。ただ日本軍性奴隷制被害者の金学順ハルモニらのカムアウトの環境として、反共独裁政権の民主化と東西冷戦崩壊があったことは確かである。それは翻って、なぜ裵奉奇ハルモニの声が国際問題化されなかったのかという点すなわち、冷戦下、総聯に対する反共の眼差しの介在という問題を浮き彫りにするだろう。

市販本「新しい歴史教科書」(扶桑社)

責任追及は、80年代、中国「侵略」の書き換えをめぐる教科書問題や中曽根首相による敗戦後初の靖国神社「公式参拝」問題に対するアジア各国の反発を皮切りに、90年には朝鮮労働党、自民党、社会党の三党共同宣言において、植民地支配および「戦後」に対する謝罪と補償が明記されるに至る。これ以降、共和国の太平洋戦争被害者補償対策委員会や、日本での朝鮮人強制連行真相調査団の活動が活発化し、被害実態の掘り起しが進んだ。

90年代の10年間に、日本軍性奴隷、被爆、サハリン残留、BC級戦犯、強制連行・強制労働などをめぐる補償要求が相次ぎ、約60件の「戦後補償裁判」が闘われた。京都鴨川河川敷に居を構えていた人々による「居住権」をめぐる訴訟が「戦後補償」の一環として提起された点も重要である。

こうした90年代の過去清算をめぐる動きの到達点として、2000年には日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷が開かれた。性奴隷制を「人道に対する罪」と規定し、最高責任者・昭和天皇に有罪判決および日本国家の責任を明確化した同法廷は、植民地支配と「戦後45年間朝鮮人民が受けた損失」について謝罪と補償を明記した三党宣言同様に、対日責任追及の基本的な原則として常に立ち戻るべき立脚点といえよう。

反動ナショナリズム

以上の、告発の声に対して日本は、法的責任を取るどころか、国家と民間による歴史修正主義運動および「戦争のできる国」づくりへと奔走していった。

対日責任追及の中で、細川連立内閣はアジア太平洋戦争を侵略と認め、河野談話では「慰安所」の設置と被害女性の連行に対する軍の責任を部分的に認めた。村山談話では、初めて植民地支配に対する「お詫び」が示されることになり、この間、教科書にも「慰安婦」や南京大虐殺などが不十分ながら記載されることになる。

しかし、かかる日本政府の立場は、あくまで植民地合法論に立脚しながら、サンフランシスコ条約に基づく二国間条約で賠償請求権は既に放棄されているという見解のもと、大日本帝国の法的責任を負うものではなかった。「国際貢献」「政治大国」化を目指すうえでの反省アピール=政治外交的戦略としての「お詫び」にすぎなかったそれは、よく言われるような「道義的責任」ですらなかったと言える。

こうした政府の動きや教科書の記述を「自虐」的であるとして、一貫して侵略を認めない国民主義は、歴史修正主義運動を通じて強化されていく。それを主導したのは現安倍首相である。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務め、女性国際戦犯法廷をNHKが特集した際には、内容改竄のための政治的圧力を加えている。また、自民党内の動きと連動しながら自由主義史観運動を展開した西尾幹二らは、97年に「新しい歴史教科書をつくる会」を発足させ、「アジア解放戦争」論を説いた。

このような歴史修正主義運動と表裏一体の関係にあったのが、「対テロ戦争」「北朝鮮問題」を口実とした日本の軍事大国化の動きである。

軍事化と歴史の歪曲

東アジアの「冷戦」構造は、60-70年代の日米「韓」軍事同盟の構築と米中デタントを経て、米ソ冷戦解体を契機に、日米「韓」対共和国という非対称的な関係性が顕著になっていた。その関係性を支えたのは米国の核恫喝とともに日本の軍事大国化であった。

米国は「KAL機爆破事件」を契機に共和国を「テロ支援国家」に指定、日本も部分的に「制裁」に参加した。90年代半ば以降は、日米共同宣言を経て、小渕政権下、145回国会で日米新ガイドライン関連法、国旗国歌法などを成立させ、「戦争のできる国」へと突き進んでいく。

2001年、奴隷貿易を「人道に対する罪」と定め、植民地主義は現在の貧困、レイシズムの起源であると規定した歴史的なダーバン会議の数日後に起こった「9.11テロ」は、グローバルな「過去の克服」の試みが、グローバルな「対テロ戦争」によって封殺されていく転機となるものであった。旧宗主国がこぞって参加し、小泉政権もまた、テロ対策特措法、有事関連法など、「対テロ戦争」に対応する法整備を進め、自衛隊をイラク戦争に派兵している。

2002年の「9.17」以降は、増幅する「北朝鮮脅威」論のなかで、総聯弾圧および朝鮮学校・学生への迫害が、地域・世代・性別を問わず広範化する。チマチョゴリ切り裂き事件、「帰れ・死ね」といった暴言、学校や総聯への放火未遂・破損・悪質な落書き、危険物送り付けの脅迫等、物理的精神的攻撃が相次いだ。

このような状況下、2000年代以降の歴史修正主義には、対日批判のなかで不正義と糾弾された植民地および戦争犯罪に対する歴史歪曲の動きのみならず、「対テロ戦争」「北朝鮮脅威」論を背景とした内容が登場していることを確認すべきだろう。〈嫌韓流〉関連本や「在特会」の言説は、「在日朝鮮人は自由渡航者」、「強制連行はなかった」、「特別永住は特権」、「生活保護を巣食っている」など、形成史から法的地位に至るまで、在日朝鮮人史をめぐる事実関係を歪曲するものであった。また工藤美代子らの関東大震災朝鮮人虐殺論は、犠牲者数を極小化し、生存者の証言を歪曲したうえで、「テロリスト」を殺すのは国家の「自衛権の行使」であると主張するものであり、これは朝鮮民衆を迫害し独立運動を過剰に鎮圧・犯罪化した植民地主義の論理のうえに、「対テロ戦争」の論理がかぶさったものと考えられる。

以上、「拉致問題」を契機にそれまでの「被害者意識」に基づいた国民主義がより前景化し、軍事大国化の動きとともに、朝鮮民族とりわけ「北」と関連すると目された在日朝鮮人とその歴史を迫害/修正する情況が今日まで続いているのである。

(朝鮮大学校助教)

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