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同胞の遺骨はいま/山口における朝鮮人遺骨問題

1942年2月、183人が犠牲(うち朝鮮人犠牲者は136人)となった海底炭田「長生炭坑」の水没事故から77年を迎えた。2月16日、山口県宇部市で犠牲者追悼集会が開かれた。追悼集会には、遺族を含む、関係者や市民ら130余人が参加した。この日、集会場には、南朝鮮から初めて参加した遺族であるウ・チョルホさんの姿もあった。ウさんは、水没事故で犠牲となったウ・ハンジュさん(享年26歳)の甥だ。追悼集会を主催した「長生炭坑の水非常を歴史に刻む会」の顧問・内岡貞雄さんを中心に、集会当日にウさんへ行った聞き取りを紹介する。

「遺骨」だと思っていたメリケン粉

伯父が眠る海を前に両手を突き、お辞儀をするウさん

父は犠牲者の弟にあたります。父の話では、伯父の死亡の知らせは面役場(迎日郡竹長面)を通じて、長生炭鉱の会社から弔慰金とメリケン粉の入った袋が届けられたそうです。父とおばからこのメリケン粉が「遺骨」と聞いていたので、兄が亡くなってから私(チョルホ)が30年以上、伯父のチェサを行ってきました。私たち5人(兄弟姉妹)は、今まで遺骨を前にチェサを行ってきたと思っていました。しかし、それは遺骨ではありませんでした。

韓国遺族会を通じ糾明委員会に申告(2009年頃)後、申告が受理され、調査がなされました。その調査を通じて、伯父の遺骨が長生炭坑のあった海にあるとを知りました。

私は1961年1月22日生まれの58歳です。今回77周年の追悼集会に参加し、現場に立ってはじめて、伯父がこの冷たい海の底に眠っていることを実感しました。言葉にならないくらい悲しく、悔しく、胸が張り裂けそうでした。私の気持ちを「刻む会」の皆さまに聞いていただくことができて本当に良かったです。

*注 文中、ウチョルホさんの証言中、お父さんから聞いた話は既にお父さんが他界されたので、十分な検証はできていません。

【山口支局】