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〈ヘイトの時代に 2〉「日本人が嫌いだった」/京都第一初級襲撃事件当時の児童が語る

「在特会が来た後、中学生の時までは、全ての日本人が嫌いだった」

現在、京都中高に通う安英林さん(3年)は昨年末の取材で、そう打ち明けてくれた。

在特会のメンバーらによる京都第一初級襲撃事件があったのは安さんが初級部3年生の時。昼食後、友人と歯磨きをしに屋外に出たところ、学校敷地の外にいた在特会メンバーに「おいで」と声をかけられた。いつもの昼下がりは、外でサッカーを楽しむ時間。しかし、その日は教員からサッカーをせずに校舎に入るよう指示された。

教室で待っていると、外から拡声器の大きな声が聞こえてきた。

「当時は在特会なんか知らなかったけど、彼らはいろいろと叫んでいた。先生たちがやりあっていて、喧嘩しそうな勢いなのが怖かった」(安さん)

教室内では泣き出す子どもたちも多かったが、安さんが泣くことはなかった。なぜ自分にこんな言葉が向けられているのか、「あまりにも疑問が多かった」からだという。

事件について、家や学校ではあまり話さなかった。「先輩や家族といるときもタブーというか、あまり触れない方が良い雰囲気があった。当時の記憶が蘇る気がして」。

教師たちも、低学年の児童たちが余計な不安を感じないよう、あえて事件について詳しい説明をすることはなかった。

「6年生くらいまでは、日本人といえば在特会のイメージが強すぎて、日本人を見ると『自分のこと嫌いなのかな』と思っていた」。在特会に対するネガティブなイメージがそのまま日本人に結びつき、不信感へ繋がっていったと、本人は話す。

そんな息子の姿を、母である南珣賢さん(52)も憶えていた。

安さんは空手の師範である父の影響から、初級部1年生の時から現在まで、様々な格闘技に親しんできた。その一つとして、初級部の時は京都市内の南警察署で柔道を学んだ。

そこで教える警察官たちに対し、「本当に守ってくれるのかよ」「警察も朝鮮人のことを悪く思ってるのかな」と、不信感をこぼすことがあったという。襲撃事件当日、学校の前で行われる差別街宣を「放置」し続けた警察を見てのことだった。

「子どもだったからちゃんと表現はできなかったけれど、そういうそぶりを見て、日本人を警戒してるのかな、と思うことはあった」(南さん)。

日本人に対するぬぐい切れない不信感がはっきり恐怖に変わったのは、安さんが中学生の時だ。学校で社会の時間に「チマ・チョゴリ切り裂き事件」を習った。「自分も標的にされるんじゃないかって、怖くなった」。

今でも道を走る右翼の街宣車や、襲撃の日に在特会のメンバーが着ていた上着に似た服を見ると、当日の記憶が蘇り「何かされるかも」と恐怖を感じるのだという。中学から通い始めた総合格闘技のジムにも、本姓の「安」ではなく、「安藤」で通った。「朝鮮人じゃない方が良いなと思うことも、ほんの少し、あった」。明るく、はっきりと意見を話す安さんだけに、その言葉が意外だった。

ある日、安さんが家族でテレビを見ていた時のこと。出演していた日本人コメンテーターが、朝鮮について肯定的な発言をした。それに対し、安さんは日本人に対する不信感から「この人も日本人だから、どうせそうは思ってないんやろ」とこぼしたという。

「当時の英林は、横を通る日本人もみんな敵視するような感じですらあった。まるで自分たちの時みたいに」(南さん)。息子の姿から南さんは、30年前の自分たちの時代を思い出していた。

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