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〈取材ノート〉あるべき教育、司法、行政の不在

朝鮮人犠牲者追悼碑の設置許可をめぐり、群馬県を相手取り市民団体が起こした訴訟は9月12日、東京高裁に持ち込まれた。主な争点は、碑が公園施設としての機能を果たしているのかどうか。

県側は、第一審で主張した「追悼行事は政治的発言をともなう『政治的行事』であり、該当碑は紛争の原因となる」という主張を二審でもなお崩していない。

同月27日、大阪での「高校無償化」裁判控訴審判決。司法は、「高校無償化」制度指定の義務付けを求めた大阪朝鮮学園側の請求を全面棄却する不当判決を下した。判決理由には、朝鮮学校と総聯の関係をあげ、教育の自主性をゆがめる「不当な支配」を受けていると、そもそも保障されるべき教育の機会均等ではない論点へとすり替える暴挙に出た。

「政治的行事」「不当な支配」―。

これらの言葉をレトリックに、差別を公然と行使する。そしてその差別はながく日本社会に「当たり前のこと」として根づいてきた。朝鮮学校を取り巻く日本の世論が、いまだ冷ややかなのもまたそれに端を発している。

過去史を後世に伝える教育が施されず、そればかりか弱者を救済する機関である司法は、日本の植民地支配という朝・日の歴史的事実には目を伏せ、矛盾だらけの国の主張を追認する。

国際的に孤立する日本限定の「常識」が、あるべき教育、司法、行政の不在によって再生産されているこの危機的状況に、一日も早く気づくべきだ。(賢)