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合意を反故にしてきたのは米国/朝米合意、破たんした経緯

「北朝鮮は非核化への期待を裏切り続けてきた歴史があり、今回も核開発の時間稼ぎとの見方がいぜん根強い」(3月10日、朝日新聞)
「北朝鮮の核・ミサイル開発は、これまで『裏切りの歴史』を繰り返してきた」(3月6日、日本経済新聞)
「北朝鮮は過去何度も同じように核の放棄を半ば約束し、実際は核開発をずっと続けていた」(3月7日、小野寺防衛相)
北南・朝米対話の行方に関心が集まる中、日本政府とマスメディアは朝鮮半島の核問題に対する誤った認識で世論をミスリードしている。だが歴史的に朝鮮半島の核問題は米国によってもたらされ、非核化プロセスも米国の対朝鮮敵視政策によって幾度となく中断を余儀なくされてきた。米国が朝鮮との合意をいかにないがしろにしてきたか、核問題をめぐる経緯をあらためて振り返る。

核威嚇で基本合意を否定

朝鮮半島核問題は、朝鮮戦争(1950~53年)で米国が核兵器の使用を検討したことにその端を発する。朝鮮戦争停戦協定には再発防止のため武力増強を禁止した条項などが盛り込まれたが、停戦後、米国はこれに違反して核砲弾、戦術核爆弾、核地雷などを南朝鮮に配備し、その数は70年代半ばには1000発を超えたとされている。

一方で朝鮮は、朝鮮半島から米国の核脅威を除去するための努力を一貫して続けてきた。50年代後半から非核地帯創設をめざした数々の平和提案を行い、85年12月には核兵器不拡散条約(NPT)に加入、条約に準じて国際原子力機構(IAEA)による核査察を93年2月まで計6回にわたって受け入れた。

しかし当時のクリントン政権は、「核開発疑惑」を持ち出し、これを口実にIAEAによる軍事施設への特別査察を強行しようとした。これに対し朝鮮は93年3月、準戦時体制を宣布、NPT脱退を宣言した。

戦争危機を回避するための朝米対話が始まり、93年6月に朝米共同声明が採択された。声明で米国は核兵器を含む武力を使用せず、このような武力で威嚇も行わないことを保証することを約束。朝鮮は、NPT脱退の効力発生を一方的に臨時停止させる措置を講じた。

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