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〈4.24教育闘争70周年 2〉親子3代にわたる民族教育への思い/西東京・金英子さん

6年生のクラスメイト34人と一緒に(1950年)

東京都小平市で暮らす金英子さん(80)は、1949年、東京第3朝鮮人小学校(現在の東京第3初級)に編入した。5年生だった。

「当時は埼玉県の志木で暮らしていた。戦争中、池袋に爆弾が落とされると、空が真っ赤に燃えるのが志木から見えた。解放の日の記憶は、蒸し暑い日だったということと、町内会の人たちが金持ちのお屋敷に集まって、正座をしてラジオを聞いたこと。家に帰ると、アボジが『これで朝鮮に帰れるぞ!』と喜んでいた」

朝鮮学校には、1歳下の妹と30分に1本通る東武東上線に乗って通った。朝鮮語で九九を習ったのを今でも憶えている。

「ある日、気がついたら、日本の先生が教室に入ってきて授業をするようになっていた。校長が朝鮮人と日本人の2人、担任も2人。34人のクラスメイトは、日本人の先生が授業する時、みんな下を向いて授業を拒否した。子どもに出来る精一杯の抵抗だった。朝鮮人の先生が、私たちに日本人の先生の授業もちゃんと受けなくてはならないと諭していた」

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