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〈くらしの周辺〉分断の経験/都鍾宇

病気以外で母が寝込んだことがある。大学2年生のときに私が朝鮮を訪問すると言い出したからだ。

日本の学校に通わせたはずの息子が、日本の報道でしか知らない朝鮮に行くと聞き母はとても狼狽した。その日を境に、仲の良い家庭は崩れ、このころから祖母は私のことを「アカの子」と呼ぶようになった。祖国で見た38度線より、実生活を脅かした家庭内の分断は衝撃的だった。

よくある話ではあるが、このような現実が留学同や朝青活動をする原点であり、推進力となった。そして常に折れそうな心の支えになったのは同じ朝鮮人の先輩後輩であり、同胞組織だった。自分には朝鮮人として肯定してくれる同胞社会が必要だった。

地域活動をする中で気になって「なぜ朝鮮学校を守る必要があるのか?」とウリハッキョ卒の後輩に質問したことがある。

「守りたいから」と真正面から感情のままに答えた言葉が忘れられない。このように思う彼女が頼もしくもあり、そして残念ながら自分やその他大勢の朝鮮人青年はその域には達していないと理解しているからだ。

色々な物が手に入り、ネットで様々な情報が簡単に得られる時代であっても、本当に必要とする心の拠り所は同胞コミュニティーでの濃いつながりでありたいと思う。外から来た自分を受け入れてくれた先輩がいたように、私も同胞社会の周辺にいる朝鮮人を受け入れる準備を常にしておきたい。

(大阪府在住、法人代表)