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〈くらしの周辺〉同胞社会での経験を振り返って/都鍾宇

「子どもをウリハッキョに送るつもりか?」

結婚式前日に母から問いかけられた言葉だ。「うん、そのつもりやで」私は自信をもって答えた。

10年前に高校の同級生に誘われ、留学同で何となく活動を始めた。

大阪市生野区で生まれ、小学校から大学まで日本の公立学校であったが、民族名で生きてきた自分は民族意識が高いと自負していた。ただ、どうも朝鮮学校や同胞社会が好きになれない。おそらく両親の影響も大きかった。

一度、なぜ子どもを朝鮮学校に入学させなかったか聞いたことがある。「あの人たちとは話が合わない」一言だった。

朝青では、サランガウィサオ(人間同士の関わり)が基本であり本質という言葉は、よくいったものだと思う。どういった人間でも同胞の先輩や同級生、後輩に囲まれているうちに、どんどん帰属意識が芽生えてくる。

私も気づけば留学同を卒業し、朝青で地域活動をするようになっていた。とても安心する温かさと、近づきがたい人間同士の距離の近さも含めて魅力を感じていた。「自分はこの社会の一員なのか」「同胞社会に必要なのは何なのか」自問自答しながら同胞社会が好きになっていった。

留学同で学び、頭で理解した「異国の地で在日朝鮮人が相互扶助をしている同胞社会の重要性」を、矛盾を感じながらも地域活動をするなかで心でも納得していった。

(大阪府在住、法人代表)