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朝鮮通信使の意義と現代/仲尾宏

2018年01月16日 10:31 文化・歴史 主要ニュース

「誠信交隣」の関係を築いてこそ

消されていた朝鮮通信使

朝鮮通信使が日本の社会、とりわけ学校教育や歴史研究の場で取り上げられ、知られるようになったのはそれほど古いことではない。例えば「広辞苑」の1965年版をみても豊臣秀吉の「朝鮮征伐」の項はあっても「朝鮮通信使」の項はない。戦後、1950年に発刊され、社会科の教科書として採用された「くにのあゆみ」にも登場していない。

ある研究者によれば高校の教科書にはじめて取り上げられたのは72年であったという。

「広辞苑」は新村出を筆頭とする「進歩的文化人」を総動員した大辞典であり、「くにのあゆみ」は同じく家永三郎らの手になるものである。このような事象を生んだ背景には幾つかのことが考えられる。

その第一は明治維新以来の歴史研究者の思想的「偏向」があった。すなわち明治以前の対外関係にかんする関心は長崎のオランダ貿易が中心であったことである。それに加えて欧米の文化に対する喝仰が輪をかけた。歴史にかんする「脱亜入欧」である。そして、徳川時代は「鎖国」の時代であった、というあやまった認識がひろまった。

その結果として、近代以前の東アジア、とりわけ朝鮮に対する軽視と偏見がはびこった。1910年の「韓国併合」とその後の植民地支配がさらに人々の意識を蝕んだ。

戦後日本となってもなおその事象はかわらなかった。約200年にわたる朝鮮通信使とその事跡は一般の人々はもちろん、その研究にかかわろうとする人々もごく少数であった。その様相をうち破ったことの一つは少数の研究者とともに1980年代からの在日朝鮮人たちの通信使の事跡や各地の遺品の収集とその研究であった。辛基秀氏らの果たした先駆的役割は大きい。

そして、日本の研究者の間でもようやく「鎖国史観」への反省もふくめて江戸時代の対外関係の枠組みを再検討しようという取り組みが本格化し、また、中世の対外関係の研究も飛躍的に進んだ。また、各地の博物館などで地域の歴史研究とかかわって史料の収集や研究が進んだ。今日の学校教科書ではそのすべてに朝鮮通信使の事跡が記述されているが、それまでは先述した戦後日本の歴史研究のありようの過程が反映しているのである。

韓国でも戦後の解放から直ちに朝鮮通信使の研究や評価が高まったわけではなかった。むしろ、ここ約20年の間にようやく市民権を得つつある、といってもよい状況であろう。この度のユネスコ記憶遺産の登録申請とその結果がさらによい結果を生むことを期待したい。

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