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60年代の出版活動

1955年の総聯結成の頃は出版物が3〜4種に過ぎなかったが、63年には25種、67年には30種にも及んだ。61年に「人民朝鮮」紙英語版、65年にスペイン語版、66年にフランス語版が本社で発行され始め、朝鮮語と日本語を合わせ5カ国語の定期刊行物を発行していた。そして、海外の大学に編集者、記者を留学させる制度もスタートさせた春夏秋冬

▼在日朝鮮人歴史研究所による第53回定期研究会(5月16日)は「総聯の出版報道宣伝事業についてー総聯結成後から60年代を中心に」と題して行われた。ここでは、本紙の発行部数が59年6月〜61年5月の2年間に2倍、それから64年5月までの3年間にさらに2倍に増えたことも確認された。また、千代田区や新宿区をはじめ東京の一等地に数多くの出版社が建てられ、施設も拡充されるなど出版報道事業の物質的土台も築かれていった。まさに出版事業も全盛期であった

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