僕は大阪人であり朝鮮人である。母は済州島人であり大阪人だった。君が代丸に乗って済州島朝天面から大阪に渡ってきた母は、割りかし流暢な日本語を話す人だったが、同じ済州島から来たおばさんと出会って話し始めると一体何を話しているのか、ほとんど分からないくらいの済州サトゥリ(方言)で勢いよく話し始める。そして最後にはお互いが「そしたらまたね姉さん」と締めくくって別れるのだ。姉さんは「ねっさん」という発音に近い。
そんな母の僕の結婚についての口ぐせは、済州島しかあかん、東京はあかん、同じ年も喧嘩ばかりするからあかん、というものだったけれど、結局はその三拍子揃った人と僕は結婚することになった。オモニ、やっぱり条件つけたらあかんねんで。
母は俳優の菅原文太が好きだった。小学生の僕を連れてドラえもんを見ようと出かけた映画館の前で、見る映画を急きょ「トラック野郎」に変更したことだってある。生野区を離れ瓢箪山という生駒の麓で家を買おうとした時、身内の多くが生野区を離れることに反対したが「自然の中で子どもを育てたかったと文太さんは言うてた」とかばってくれた。
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