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〈ウーマン・ヒストリー 20〉朝鮮初の映画デビュー果した女優/李月華(下)

2016年08月29日 10:31 文化・歴史

女性映画スターの誕生

その頃尹白南(映画監督、俳優、劇作家など)は、李月華の演劇での人気を背に映画作りを構想していた。

当時、女性たちの社会活動が禁止されていた慣習により映画界では男が女性の役をしていた。

そこで尹白南は男性が扮装して女役を演じるのではなく、女性の演技者による女性主人公の映画を製作しようとした。まさに当時では画期的な提案であった。

こうして誕生した映画が1923年、尹白南脚色、監督の「月下の誓い」である。

この作品は日本植民地期、朝鮮総督府が貯蓄奨励のために作った一種の啓蒙映画であった。朝鮮総督府は著名人百人余りを招き京城ホテルでこの映画の試写会(1924年4月)を開き、その後、全国の公共施設で無料上映もした。この大衆映画によって李月華が初めて銀幕デビューしたのである。

作品の内容はこうである。

李月華が妓生になったと報ずる記事(朝鮮日報1928年1月5日)

李月華が妓生になったと報ずる記事(朝鮮日報1928年1月5日)

ヨンドクとチョンスンは結婚を約束した仲であった。ソウルで勉強して帰ってきたヨンドクは賭博場や酒場で毎日を虚しく過ごした。結局、彼は敗家亡身の状況まで落ちぶる。この時、チョンスンの父親が少しずつ貯蓄しておいたお金をヨンドクの借金返済として返してくれたのである。ヨンドクは大きく悔いて改心し、その後真人間となってチョンスンと仲むつまじく暮らした。

この映画は、初めから最後まですべての過程を朝鮮人が作った最初の無声映画であった。

以前にも数本の映画はあったのだが、それは演劇実演と映画が繰り返される「連鎖劇」であった。この頃はまだ、実演が主で、演劇の舞台装置が難しい場面にだけ撮った映像を見せていた。

反面、李月華が初出演したこの映画は、主演俳優やあらすじがちゃんとあり、女性主人公の役割を実際の女優が引き受けた朝鮮最初の映画でもあったのだ。

「月下の誓い」で彼女は演劇で固定化された「妖婦」のイメージを投げ捨てたといえる。 笑う姿と、泣く姿、身軽に歩く姿などで感情の幅を調節し、献身的ながらも強靭な女性像を演じたのである。この成功を機に、月華は「朝鮮キネマ」初映画「海の悲曲」(1924年)に再び主演キャスティングされる幸運を得た。

李月華は、素朴な美貌とこぢんまりしたスタイル、また「お転婆」というニックネームで観客たちにどんどん知られるようになっていた。しかし映画の草創期に女性を使うことはまだまれであったため、銀幕の中では女優は男を誘惑する堕落した女か、男たちの戦いに犠牲になる清純可憐な女として登場するのが大部分であった。そのため本当の意味での彼女の演技力は当時まだ発揮されてはいなかったかもしれない。

映画界への幻滅

尹白南は次の映画「雲英伝」でも主人公、安平大君が愛した「雲英」役を月華に頼んだ。しかし、ある日、尹白南は何の釈明もなく主演を金雨燕に変えてしまったのである。当時、月華よりも金雨燕の美貌が勝っているからだとか、尹白南と金雨燕が恋仲であったからだとかさまざまな憶測が出回った。

一方、月華は演技が最も重要であるはずなのに事前に説明もなく主演から降ろされたことに激怒した。彼女は尹白南と喧嘩し彼の製作会社があった釜山を立ち、ソウルに移り住んだ。監督との個人的なよしみで配役を得られる映画界の現実に不満を抱き、彼女は独自に演者としての生活を切り開こうとしたのだ。それは李月華が女性初の銀幕スターとしての確固たるアイデンティティと強靭な精神力を持っていたためだ。彼女は決して人生を傍観せず、日の当る場所に向かって積極的に切り開く意志の所有者であったのだ。

しかし徐々に活動はまばらになり、人気も維持できなくなった。結局1928年に出演した「ジナカの秘密」が最後の作品になった。体格が小さくてぽっちゃりとしたうえに、細かい表情演技に弱かった点が演劇より映画で苦戦した理由といわれている。

1929年頃からは女性たちで構成されたオヤン劇団を創立して運営も試みたが、経営に苦しむ事となる。資金不足では映画製作者にも映画監督にもなれず、演技指導者としての道も開かれはしなかった。

彼女は生活費のためにダンサーもし、妓生としても働いた。その後上海に渡り日系中国人男性と結婚をする。

1933年、病気になった母を看護しようと国内にしばらく寄り、再び上海に行こうと日本の門司で船を待っている間、心臓まひで死んだとされる。 29歳の若さであった。しかし当時、彼女の死と恋愛談を絡ませた噂が飛びかったりもした。それは女優を功績で評価せず、悲劇の運命の中に閉じ込めたいという、一種の風潮かもしれない。

しかしながら李月華は「映画」で「栄華」を享受し、また「映画」で「栄華」を奪われた人物である。

女優が登場できなかった映画界の因襲を破り、女性であっても演技力で認められ、大衆の人気を集めた月華の功績はより知られるべきであろう。

(金真美・朝鮮大学校文学歴史学部助教)

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