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〈特集・ウリハッキョの今〉尼崎初中/共に手を取り、輝かしい未来へ

68年前、4.24教育闘争が熾烈に繰り広げられた阪神地域に位置する尼崎初中(尼崎市西立花町)。「学校閉鎖令」により長い間、日本学校の分校として民族教育を行った同校は、自主学校化、新校舎建設と、同胞たちの熱意の中で着実に発展を遂げた。学校を守り抜いた同胞たちの歴史と精神を継承し、尼崎初中は輝かしい未来へ向け歩みを進めている。

民族教育のはじまり

1945年の祖国解放後、同胞たちは日本の「皇民化教育」により奪われた朝鮮語を子どもたちに教えるため、全国各地に国語講習所を設立していった。尼崎市内でも45年9月から46年1月にかけて大庄、園田、守部など11カ所に国語講習所が設けられ、朝鮮語教育を行った。当時、長洲の分会で朝鮮語を教えたという李玉禮さん(89)は「あの頃、朝鮮の子どもたちはノートに書かれた『皇国臣民誓詞』を繰り返すばかりだった。彼らに朝鮮語を教え、朝鮮人としての誇りを取り戻すことは大きな課題だった」と語る。

46年4月からは8校の朝聯初等学院(大庄・浜田・大島・武庫・常松・立花・園田・長州)を順次設立、上・中・下の三学年制で民族教育を行う。このうち、4月24日に創立した大庄初等学院が現在の尼崎初中の前身となる。47年4月にはこれらの初等学院を統合、改編し、尼崎初等学院(本校―大庄、分校―守部・立花・園田・大島・常松)を創立。大庄本校はかつて朝鮮人強制連行時の収容所であった古川電工の工員寮を改造し、校舎として利用した。

こうして産声をあげた尼崎での民族教育は、早くも大きな困難に直面する。

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