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〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 24〉日本に文明の光当てた証、高句麗壁画古墳

2016年03月16日 09:00 文化・歴史

装飾品や古鏡、刀剣、土器などの貴重な遺物奪う

朝鮮絵画のルーツを辿れば、高句麗時代の古墳内に描かれた1600余年前の壁画に辿り着く。

高句麗は新羅、百済に先がけて最も早く国家を形成した。紀元前3世紀頃に中国・東北部で、国を創建した高句麗は漢の勢力を駆逐し、周辺の小民族国家を吸収、統合して強大な騎馬民族国家を形成した。「広開土王陵碑」に記されているように領土を拡張し、南下するに従って鴨緑江を渡って平壌に国都を定めた。

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この国は、勇猛果敢な騎馬軍団を持った軍事大国としてばかりではなく、高い水準の文化と科学を誇った文化国家としても知られ、周辺国家に文化の恩恵をもたらした。原始的な農耕時代にあった日本に文明の光をあてたのも高句麗である。

国家創建の地である中国・東北地方や平壌周辺には、すぐれた文化をしのばせる遺蹟が多く残されている。これら遺蹟の中で高句麗文化の精髄を鮮明に見せてくれるのが、今まで発見された70余基の壁画古墳である。2004年、世界文化遺産にも指定された。

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