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〈東日本大震災から5年〉「いつか恩を返したい」/仙台市内に住む李正子さん

2016年03月11日 09:00 文化・歴史

宮城県の同胞女性高齢者組織「金陽会」責任者を務めている李正子さん(78)は、5年前、自宅が全壊扱いとなった。震災後に東北初中で一カ月間、夫と共に避難生活を送った。学校がなかったらどうなっていただろうと振り返っている。

3月12日が夫の手術日だったため、震災当日は夫の病院にいた。大きな揺れがおさまったときに夫と一緒になれた。病院側の「歩ける、動ける人はいったん退院を」の知らせを聞いて東北初中に向かった。仙台市内の家はガス臭くて帰ることができなかった。

東北初中では、寄宿舎で一カ月間生活した。その間、日本各地から届く救援物資を見て、組織の力を改めて実感した。同胞が同胞を助ける、そんな姿は総聯組織がなければできないことだと思った。物資を日本人にも分け、感謝を伝えてくる日本人の姿を見ながら活動の正しさを実感した。11仙台市内の同胞高齢者DSC_0206s_R

夫の意向があり、歪んでいた自宅を同胞青年たちの「復旧支援隊」による作業などで補修し、住めるようにした。しかし震災から1年後の2012年4月、夫は念願だった祖国統一を見ることができないまま逝った。それから、めまぐるしい日々を過ごしてきた。5年が経ち、「ようやく落ち着いて、自分のことや人のことを考えられるようになった」。

振り返れば、祖国からの慰問金がありがたかったと李さんは話す。そして朝鮮学校があって助かった、人の痛みが改めてわかったと語る。

一方、李さんが10年以上責任者を務める「金陽会」は震災の年の春に運営を再開して月2回の活動を地道に続け10人ほどが参加している。地震が起きて、同胞高齢者たちは組織の大切さについてもう一度話している。みなと顔を合わせるたびに東北初中生徒数減少問題から始まり、祖国や同胞社会の出来事、自身の暮らしぶりなど、話し合う話題が尽きない。

参加者の中には一人で暮らす同胞も多く、震災後も送り迎えをしてくれる総聯本部委員長をはじめとする活動家らに一同はいつも感謝の気持ちを抱いている。

大変な時に助けてくれた総聯組織。宮城の同胞高齢者たちは今日も身をもってそのことを実感しているという。李さんは、今後他県で大変なことがあれば、そのときは受けた恩を返したいと考えている。

(李東浩)

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