朝鮮学校が日本の公式戦への出場が認められていなかった1973年、三多摩朝鮮第1初中級学校(現在の西東京朝鮮第1初中級学校)の校長が新聞で偶然、読売少年サッカー大会への参加募集案内の記事を見つけた。申請したところ参加が認められた
▼当時の朝鮮新報によると、大会は43の強豪チームの参加のもと3日間にわたり開催され、「熙川」と名づけられた同校中級部サッカー部が連戦連勝。初参加にして優勝に輝いた。しかしながら、翌年から同大会への朝鮮学校の参加は認められなくなった。ちなみに「熙川」というチーム名は、社会主義建設で名をとどろかせていた熙川工作機械工場になぞらえている
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