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〈特集・ウリハッキョの今〉東京第2初級/守ろう 子どもたちが通う「心の故郷」

古くから朝鮮人の集住地域として、記録映画「朝鮮の子」や「パッチギ」などの舞台にもなった枝川の街。東京市役所「昭和十年国勢調査附帯調査統計書」によると、1935年10月1日現在で、深川区に5067人、城東区に3622人の朝鮮人が住んでいたという。敗戦前、旧東京市は東京オリンピックに向けた埋め立て事業のため、戦時中、日本に強制的に連れてこられた朝鮮人を強制移住させた。埋め立てが終わったばかりのゴミ処理場しかない荒地で、同胞たちは、下水道や歩道の整備、学校建設など、すべて自らの手で行った。そうして建てられた学校が東京第2初級だ。

現校舎

現校舎

集住地域に建てられた学校

祖国解放の翌年の46年1月15日、「朝聯深川学院」として教員3人、生徒数50人で始まった民族教育。創立当時、校舎は、朝鮮人集落の一角にあった板張りの長屋(隣保館)を改造したものだった。城東区(現江東区)で生まれ育った洪漢伊さん(83、初級部1期卒業生)は当時をこのように振り返る。「1月、隣保館に朝鮮学校ができて、私はすぐに入ったの。最初は1クラスしかなくて、私も兄さんも一緒のクラス。なにしろできたばかりの学校でしょう。校庭のでこぼこを直したり、小高くなっているところを崩して平らにしたり」(「東京のコリアン・タウン枝川物語」江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会編より)。

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