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〈月間平壌レポート 11月〉“科学の力で未来を切り開く”

2015年11月28日 11:02 主要ニュース

朝鮮の復興を担う人々

【平壌発=金志永】近年、朝鮮では教育者、科学者のための住宅団地や保養施設が相次いで建設されている。11月には平壌・平川区域に「未来科学者通り」が竣工した。約2000世帯が入居する高層アパート群と学校や病院などの公共施設、商店や食堂など約150の店舗が連なっている。

教育者としての誇り

「こんな立派な家に住むなんて、想像すらしなかった」

金策工業総合大学の教員、キム・スヒョンさん(38)は、未来科学者通りのアパート入居証を受け取るとすぐさま両親に報告した。二人は「涙を流して喜んだ」という。

大同江沿いに竣工した未来科学者通り(朝鮮中央通信=朝鮮通信)

大同江沿いに竣工した未来科学者通り(朝鮮中央通信=朝鮮通信)

キムさんの父親は1960年代、両親とともに日本から帰国し、医大を卒業して心臓外科医になった。70年代に単身で東海を渡った母親は、外国語大学で教鞭をとった。キムさんは、両親の影響を受け、幼いころから「科学の道」を目指した。秀才養成校である平壌第1中学校で学び、金策工大に入った。卒業後、教員として大学に残ったが、コンピューター技術を共に学んだ同窓生の中には、IT関連の会社を選ぶケースも少なくなかった。

「会社勤めをした方が経済的には恵まれる。30代になり、いつまで教員を続けるんだと同窓生に言われて動揺したこともある。そんな時、励ましてくれたのが両親だった」

キムさんの専攻はコンピューターグラフィックス。大学生時代にCGを導入した劇映画の制作に参加し、その後もこの分野の研究を続けた。教員としては、全国教授法コンクールで一位を獲得したこともある。これらの実績が評価され、2009年に「金日成青年栄誉賞」を受けた。そして今回、家具付き4LDKの新居が無償で与えられた。

未来科学者通りの住民の内、約700世帯が金策工大の教員の家族だ。キムさんは、以前住んでいたアパートを出る時、そこの住民の祝福を受けた。「何と喜ばしいこと」「科学者の息子を持つ親が羨ましい」と声をかけられたという。

党と国家の幹部も未来科学者通りを訪れ、住民を祝福した。キムさんの新居には副総理が訪ねてきた。

「金策工大の教員であるという誇り、国の未来を担う教育者としての責任を感じる。さらに大きな実績をつくり、人々の期待に応えていきたい」

朝鮮以外の国では、教育者や科学者のための住宅を国家予算で建設し、数千世帯に無償で提供したりしない。社会主義の国だからこそ、可能な施策だが、教育者や科学者が厚遇されているのには、それなりの理由がある。朝鮮労働党は、自力更生による経済復興を戦略的路線として打ち出している。他国に依存することなく、自国の力と技術、資源に基づいて、経済の発展を図るということだ。

そのために科学重視、人材重視の政策が行われている。未来科学者通りの建設も、その一環だ。人材育成、科学発展の担い手たちの生活を手厚く保障し、彼らの研究意欲、働く意欲をを向上させることに国家予算が優先的に使われている。

「自分の使命を果たす」

住宅以外に、教育者、科学者の福利厚生も重視されている。昨年10月、平安南道にある延豊湖のほとりに高級ホテルのような立派な保養施設ができた。ボート場やテニスコートなどの各種運動施設を備え、レストランでは最高レベルの食事を提供する。研究成果を挙げた科学者たちが、ここで半月間、ゆっくりと休養をとる。宿泊費は無料だ。「延豊科学者休養所」の運営もすべて国家予算で賄われている。

延豊科学者休養所では科学者たちが安らぎのひとときを過ごす(朝鮮中央通信=朝鮮通信)

延豊科学者休養所では科学者たちが安らぎのひとときを過ごす(朝鮮中央通信=朝鮮通信)

10月中旬に入所した国家科学院・工業情報研究所のチェ・ソン所長(44)は「半月は長いと思っていたが、来てみると一日があっという間に過ぎてゆく」という。休息のない研究の日々を続けてきた科学者たちも、「美しい湖のほとりで、スポーツをしたり、娯楽会を催したりして、充実した時間を送ると、いつもよりもぐっすり眠れる」のだそうだ。

チェ所長の父親はソウル生まれで、朝鮮戦争の時に越北した。小学校も卒業できなかった父親に代わって、多くを学び、科学者になるという少年時代の夢を叶えたチェ所長は、「いつも感謝の念を忘れずに自分の使命を果たす」ことを信条としているという。

「もし、ほかの国に生まれていたなら、早くに親を亡くし、身寄りのない私のような人間は、科学者になれなかったと思う」

保養施設で楽しい日々を過ごす科学者たちは、1990年代後半の「苦難の行軍」を振り返り、自らの体験談を語り合うこともあるそうだ。国家が経済的試練に見舞われ、すべての人々が生活難に直面したあの時代も、科学者たちは自分や家族のことよりも先に、与えられた使命を果たすことを考え、研究室で時を過ごした。チェ所長は、「科学があってこそ、祖国の繁栄もあるというのが、私たちの信念だった」と語っていた。

保養施設での生活も科学者たちの奮起を促している。延豊湖を訪れた後、全国的に名を知られるようになった人物もいる。昨年10月、オープン直後の施設で最初の保養生活を送った国家科学院レーザー研究所の研究員、キム・グァンヒョンさん(36)は今年7月、国際的に権威のある世界科学アカデミーの青年会員に登録された。国内初の快挙だという。

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