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〈特集・ウリハッキョの今〉東京第4初中/インタビュー・呉南現顧問、李花基顧問

統一への道しるべ

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呉南現顧問と李花基顧問

済州島で生まれ、忠清南道広州で解放を迎えた呉顧問。「植民地下で虐げられた私たちにとって、人生で初めて感じた歓喜の瞬間だった」と振り返る。李承晩政権を反対する学生運動に身を投じ、仁川の刑務所で拷問も受け、後にソウルで生活した。

その後渡日し、東京中高2期生として学んだ。済州島や慶尚南道なまりの在日同胞たちが多い中、ソウルの標準語を使う呉さんは地方へ教員として送られた。

滋賀や埼玉、東京第1、第5、第4などを転々とする中で「生活に根差したウリマル教育」に尽力した。

また、中央芸術団の農楽舞をみて「ぜひウリハッキョでもやりたい」と全国のウリハッキョで初となる学生たちによる農楽舞を組織したと懐かしむ。「近隣の日本人もみな喜んで、お祭りのような雰囲気だった」

妻である足立区出身の李顧問は「解放当時、荒川近辺には徴用で連れてこられた人々が多かった。そういう人たちにとって解放の喜びは格別だった」と話す。「同胞たちは『買い出し』やごみひろいをして生計をたてる貧しい生活の中でも、学校のために積立をするなどの努力を惜しまなかった」。学校閉鎖令が出されたときは教員生徒が一丸となって、抗議をした。「『아이들아 이것이 우리학교다』(許南麒作)の『日本の学校よりいいです』という一節があるけれど、本当にその通りの心情で、涙を流しながら闘った」と振り返る。

李顧問は「東京第4の創立70周年を迎え、時が経てば経つほどウリハッキョへの思いいれがどんどん深くなる。支部や学校を代が変わっても同じ気持ちで守り続ける若い人たちへの尊敬の念でいっぱいだ」と目を細めた。

呉顧問は「3世、4世が主力になっている中、生活もウリマルも日本式になっている。故郷の土も踏めず、そしてそこがどんなに愛しいところなのかを知らない若い世代にとって、その息吹を伝えてくれるのがウリハッキョだ。ハッキョを守り、ウリマルを学ぶ。そのことが単一民族である我々が統一に向かう道しるべだ」と力をこめた。

呉南現顧問(84、同校元教育会会長)、李花基顧問(79、同校3期生)

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