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〈特集・ウリハッキョの今〉同じ目標に向け、オール岡山でさらなる一歩を

2015年06月08日 11:38 民族教育

すべてを学校のために

90人の全校生徒と教員たち

90人の全校生徒と教員たち

祖国解放直後、岡山県には約3万5千人の同胞たちが住んでいたという。同胞たちは分会ごとに「国語講習所」を作り、朝鮮語を学んだ。そして1945年10月には水島朝鮮学校、11月には倉敷朝鮮人学校、1946年には岡山朝聯学校が開校し、初等、中等教育を実施することとなった。1948年には県当局が各種学校の取り消し、閉鎖命令を出す中で、同胞たちは人民大会を開催し、抗議した。その闘いの結果、4月19日、朝聯と知事の間で覚書が交わされ、朝聯学校閉鎖命令の執行を撤回させる成果を上げた。1949年に朝鮮人学校強制閉鎖令が発令された後も、同胞たちは夜間学校、公立学校分校、民族学級等さまざまな形態で民族教育を実施した。当時、松江分会の夜間学校で教鞭をとった李義哲岡山県本部顧問(71)は「自転車に乗って、バラックが立ち並ぶ部落を訪ねると同胞たちが、食事をもてなしてくれた。授業が始まると、みな晩御飯の片づけもそこそこに飛んできた」と当時を懐かしむ。

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