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〈在日発、地球行・第1弾 12〉バックパックとプライドを背負い/一人旅で自問、再び出発点へ

2015年06月24日 10:41 在日発、地球行

スマイルで心の言葉を交わして

人懐こい現地の人々と楽しい一時を過ごした

人懐こいインドの人々と楽しい一時を過ごした

「国籍は?」「朝鮮です」「渡航目的は?」「観光です」

在京の各国大使館のスタッフには怪訝な顔をされてしまったものの、ベトナム、カンボジア、インド、モンゴル、イランのビザは問題なく手に入った。朝鮮籍はビザ取得の上で障壁が多いとよく聞くが、何事もチャレンジが肝心だとつくづく思う。よく考えれば当然の結果と言えなくもない。朝鮮は160カ国以上の国々と国交を結んでいるのだから。

ガイドブックとにらめっこしながら旅のプランを練っている時は想像力が膨らみ、わくわく感が止まらない。バックパックを背負い、いざ出発。宿泊先は事前に予約せず現地で決める。何軒かの安宿で交渉し、宿代を篩(ふるい)にかけるのが自己流である。

現地での移動手段は様々だ。東南アジアのトゥクトゥク(3輪タクシー)、インドのリキシャ(人力車)、モンゴルの馬。乗り心地はどれも悪くない。

モンゴルの大自然でで乗馬体験

モンゴルの大自然でで乗馬体験

時間とお金を節約するために寝台列車を利用することもしばしば。ただしスリ多発地帯のため、くれぐれもご注意を。就寝時は鍵付きロープで持ち物を繋ぎ止めるべし。他人からもらう飲食物には睡眠薬が混入している可能性がある。筆者は思い切ってその掟を破り、見知らぬインド人男性に自家製カレーをご馳走になったが。

英語の通じない国では現地の公用語で簡単な単語を覚えることをオススメする。自己紹介が言えれば掴みはバッチリ。あとは万国共通のスマイルで心の言葉を交わせば問題ない。

日本の「当たり前」は当たり前ではない。初めての一人旅で泊まったボロ宿で、トカゲやムカデやゴキブリとの共同部屋を引き当てて以来、初対面の外国人と相部屋のドミトリーなんて気にも留めなくなった。

ハエがたかる食事、青空トイレ、群がる物乞い、ぼったくり、恐喝事件。朝鮮大学校で過ごした4年間を通して「どのような環境でも生きていける」と変な自負心を抱いていたが、異国の「日常」に身を置く中で神経はさらに図太くなったかもしれない。

忘れてはならない「切符」

大虐殺が起きたトゥールスレン収容所に展示されている骸骨

大虐殺が起きたトゥールスレン収容所に展示されている骸骨

どんな社会にも必ず「陰」と「陽」の側面がある。発展途上国(なにを基準に「発展」と呼ぶのか定義は難しいが)となるとコントラストはより鮮明だ。

そこには頭の中でしか描けていなかった暗く冷たい世界が広がっていた。

地雷によって四肢を失ったカンボジアの物乞いや、ウランバートルの下水道に住むマンホール・チルドレン。インドのカースト制度における最下層の不可触民は、決して服とは言い難い布切れを纏いながら、何を思い路上に佇んでいるのだろう。

ベトナム戦争の悲劇を伝える戦争証跡博物館には、爆破され人間の原形すらとどめていない死体を持ち上げる米兵の写真や、枯葉剤による奇形児のホルマリン漬けなどが展示されている。ポル・ポト政権下で2万人近くの人々が虐殺されたカンボジアのトゥールスレン収容所には、犠牲者の骸骨が山積みにされ、1メートル四方の独居房には血糊が残っていた。

カメラに向かってピース

カメラに向かってピースするイランの子どもたち

怒りや悲しみで胸が押しつぶされる一方で、筆者の心を明るく照らしてくれたのは、純粋で好奇心旺盛な子どもたちや温かく人情味あふれる現地の人々だった。彼らのまぶしい笑顔に癒され何度となくカメラのシャッターを切った。

世界中のバックパッカーや現地人たちと言葉を交わし、異国の現実を垣間見る過程で自問した。「自分は何者で、何のために生きているのか」。

インドで過ごした大晦日。南朝鮮や日本をはじめとした旅人たちと年越しヌードルをすすりながら、間に入って簡単な通訳をこなし国際親善の架け橋となった。

「本当すごいね。朝鮮語、日本語、英語も喋れるなんて」。「いえいえ、私ではなくて朝鮮学校がすごいんですよ」

在日朝鮮人という自分が存在するのは民族教育や同胞社会のおかげだと、身に染みて教えてくれたのが「世界」であった。同時に、異世界へ羽ばたきたいという幻想ばかり抱いていた浅はかさを悔いた。地に足をつけ、なにをすべきか突き詰めていきたい。

気持ちがはやり、地球の広さのあまり迷子になるかもしれない。そんな時は一息ついて、これまでどんな支えがあって出発点に立つことができたのか思い出してみればいい。そうすれば、新たな一歩を踏み出した先に見える景色が、また違ってくることだろう。

「在日発・地球行」。もしこの列車に乗るのであれば、一つだけ忘れないでほしいことがある。握り締めるのは、片道ではなく「往復」の切符であるべきということだ。(完)

(李永徳)

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