苦労の多い結婚生活がスタートした。3人の子どもが生まれたが、そのうえに幼い小姑2人の世話も肩にのしかかった。戦争末期で、食べる物も着る物も、手に入らない時代。李さんは過酷な運命から逃げずに、懸命に生き抜いた。ヤミ米を買って、朝鮮飴やドブロク、焼酎を製造して売った。土方もして、工場に働きにも出た。休む暇もないほどの重労働と栄養不足。知らず知らずのうちに李さんの健康は蝕まれていった。

「私の歩んだ道ー在日・女性・ハンセン病」の表紙
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