
連山の戦いで戦死した日本兵の忠魂碑。東学農民軍討伐専任大隊、ただ1人の戦死者(現・徳島県阿波市市場町香美)=筆者提供
今から120年前の10月、1894年の秋、日清戦争の平壌の激戦で辛うじて勝った日本軍は、鴨緑江を渡って清国領へ侵入していた。
今日本で、日清戦争は「日本と清国の戦争」と語られ、教えられている。しかし日清戦争の実像から大事な所が抜けてしまっている。
日本は、朝鮮王宮を軍隊で占領し、朝鮮を戦場にし、軍隊の輸送路にもした。武力で侵入した日本軍に対して東学農民を中心に、朝鮮民衆がいたるところで大軍となって戦っていた。全羅道、そして慶尚道、忠清道、京畿道、江原道、また北部の黄海道も、東学農民軍と日本軍の激しい戦場になったのである。
*************************************
※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。
会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。
会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。
大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。
パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。
*************************************