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〈取材ノート〉繰り返される100年前の手法

2014年09月24日 09:00 文化・歴史

「朝鮮人虐殺を目撃した人の息子がこの近くに住んでいる」

1923年9月1日に起きた関東大震災時、日本の軍、官憲、民衆によって虐殺された朝鮮人の墓が埼玉県の常泉寺にある。それから91年後の同日にこの寺を訪れた際、ある同胞から偶然聞いた話だった。4日の追悼式には本人が参加するということで、再び常泉寺まで足を運んだ。

高橋隆亮さん(70)。震災当時15歳だった高橋さんの父は、サツマイモ畑で、1人の朝鮮人が村人たちに日本刀や槍で八つ裂きにされる光景を目撃したという。当時は「朝鮮人を捉えたら褒美がもらえる」と思い込み、村人たちは我先にと朝鮮人殺しに加わったのだ。

民衆らの罪は重いが、「不逞鮮人」は治安の対象であり、人を人と思わぬほどの蔑視感情を民衆たちに植えつけたのは日本政府であった。

日本の近代史を専門とする歴史学者のテッサ・モーリス=スズキ氏は、著書の中で「日本の歴史において愛国心をめぐる議論は常に、激動の時代や海外との関係が不穏になる時代に繰り返されてきた」と述べている。

愛国心教育を徹底し、災害直後の不安と混乱を利用し、朝鮮人に対する恐怖心を抱かせることで民衆らの怒りの矛先を弱者へと向けた100年前の手法は今も変わらない。排外主義者たちによって繰り返されるヘイトスピーチを叫ぶデモ隊の中には「朝鮮人が嫌いでたまらない」という日本の中学生も参加していたという。今、長年に渡って蓄積された自国の深刻な問題に正面から向き合う姿勢が問われている。

(梨)

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