両班名家の出身である高羲東(コヒドン)が、どうして当時「」(三文画家)などといわれ、うさん臭い職業とされた画家の道を選ぶようになったのだろうか。
それは開化思想に目覚めた父親が、彼を韓城法語(フランス語)学校に入学させ、新しい学問を学ばせようとしたことに始まる。ある日、彼は画家のレミオンがフランス語教師マルテルを描く、その油彩の明るく生々しい生動威あふれる肖像画に深く感動したのである。

60.6×50センチ 1915年 東京芸術大学
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