朝鮮は、9月19日から10月4日にかけて南朝鮮の仁川で開催される第17回アジア競技大会に大規模の選手団と応援団を送ると発表した。
北側が初めて南に大規模の応援団を派遣し、「統一フィーバー」を巻き起こした02年釜山アジア競技大会から12年。北南スポーツ交流が再開し、民族の和解と団結の機運がもたらされることへの期待が高まっている中、北南のスポーツ交流の歴史について改めてふり返ってみた。
分断状況にある北南間において、スポーツ交流は緊張関係を緩和し、相互理解と交流を促進するうえで大きな役割を果たしてきた。
北南スポーツ交流の起点は1960年代に遡る。63年1月、東京五輪に出場する統一チーム構成について話し合うための北南スポーツ会談がスイス・ローザンヌで開かれた。しかし会談は決裂。
以来、80年代に至るまで国際競技大会に出場する統一チーム構成などに向けた北南会談が何度も行われてきたが、北南間の葛藤や当時の世界情勢の影響を受け、一度も結果を出せずにいた。
だが90年代に入って、ついに北南間のスポーツ交流が実現する。
きっかけは第11回アジア競技大会(90年9月、北京)に統一チームで参加しようと北側が提案したことだった。北側の提案を協議すべく、北南スポーツ会談が89年3月から1年間にわたり行われた。会談は調印目前で決裂したものの、大会では北側の提案で北南合同応援が実現し、大会中に双方五輪委員会副委員長の間で北南統一サッカー大会開催が合意された。
こうして1990年10月、日帝の植民地時代である1929年から解放後の1946年まで開催されてきた平壌とソウルのサッカー交流戦「京平サッカー大会」が「北南統一サッカー競技大会」とその名を変え、44年ぶりに復活。平壌とソウルで試合が行われた。
さらに91年2月に開かれた北南スポーツ会談で双方は、統一チームで国際大会に出場するという歴史的合意に達した。同年4月に千葉で開催された世界卓球選手権には統一チームが出場し、女子団体が強豪・中国を下して優勝。民族の底力を誇示した。当時、総聯と民団の合同応援も実現した。
同6月にポルトガル・リスボンで行われた国際サッカー連盟(FIFA)ワールドユース選手権(現FIFA・U-20W杯)にも、北南統一チームが出場し、ベスト8に進出した。国際大会に北南統一チームが出場したのはこの2回のみである。
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