「あらゆる差別とたたかってきた同胞たちがいたからこそ、『全国』行きの切符を手に入れることができたし、公式戦に出たくても出られなかった先輩たちの存在が、自分たちの気持ちを奮い立たせてくれた。ウリハッキョ(朝鮮学校)が『全国』に出場するということは、地域代表という枠に留まらない、はるかに大きな意味を持っている」
朝鮮代表としてW杯の夢舞台も経験したJ1・ベガルタ仙台の梁勇基選手(32)は、こう話す。
1999年6月、大阪朝鮮高級学校サッカー部はインターハイ予選の決勝を迎えていた。勝利の先に見えるのは、団体競技としては朝高初の「全国大会」出場だった。
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