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作家・玄基榮氏の講演(抄訳)

2014年04月23日 10:03 朝鮮半島

「米国は手を血に染めなかったのか」

(1)無辜の良民約3万人が虐殺

不無辜の良民約3万人が虐殺され、130余りの村が焼き払われたその事件を考えると、私にとってそれは広島、長崎に続く3度目の原爆投下のようにも感じられる。4・3は米国の世界戦略の構図の中で行われたものだ。同族が同族を虐殺したその事件で、米国は手を血で染めなかったからといって無罪なのか。現場で米軍の制服、米軍の軍靴に、米国製の銃を持った朝鮮土着の兵士たちの姿だけが見えて、米軍の姿があまり目につかなかったからといって、彼らが無罪なのではない。戦争の中の人間は本能的、衝動的になるものだが、未端の小銃手にまで殺人免許を与えることで人間の野獣性を極大化した張本人は誰か。目に見えない彼らは、軍事顧問団という名で、その島を海上封鎖した軍艦のなかに、兵力輸送のLST(戦車揚陸艦)のなかに、済州邑のCIC(陸軍保安司令部)事務室のなかにいた。占領国が植民地民衆を制圧する最も効果的な策略は、可能な限り自らの手を血で染めることなく、同族をして同族を討たせることであることを米国はよく知っていた。次は、私の短編小説「鉄と肉」のなかの一節だ。

「これは誰の犯罪なのか。機関銃なのか、機関銃の射手なのか、射撃命令を下した将校なのか、無線電話で処断命令を下した大隊長なのか、その上の連隊長なのか、その横の影のようにくっついている米軍事顧問官なのか、その上の、そのまた上の、いよいよ三角形のてっぺんは誰なのか。トルーマンTrumanは本当に“真実の人true man”だったのか」

首脳の命令は、幾重にもつらなる従者の手足にいたるまで機械的に貫徹された。彼らの機械的な思考には人間が不在であり、身の毛がよだつほど単純明瞭だった。中山間地帯がゲリラの人的・物的土台になるので、物資だけでなく人命も根こそぎ破壊しなければならなかった。鉄の冷酷な機械。ボタンさえ押せばひとりでに動く機械。ボタンを押す者たちは自らの手に全く血がつかない。彼らにとって、その無数の死は、血の匂いのしない、ただの統計数字にすぎなかった。

ろくな武器もなく、抑制できない怒りだけをもって蜂起した200~300人の若者たちを皆殺しにするために無辜の良民約3万人を掃討したのが、まさに4・3事件の骨子なのだ。

その当時、「百殺一匪」という言葉があったが、良民100人を殺せば、そのなかにゲリラが1人くらいは混ざっているものだということ。それで200~300人のゲリラを殺すために、良民3万人を掃討したのか。米国と韓国の支配権力は済州島の8割を赤色で塗り、「RED ISLAND」と命名した。当時、その赤色は、取りも直さず死を意味した。私が軍情報機関に連行され拷問を受けたときも、「アカ作家」と呼ばれた。

拷問で容共を捏造しようとした彼らが私に発見した赤色といえば、拷問で打ちのめした中指に固まったべとべとの血だけだった。

(2)北への核攻撃発言

正義の戦争はない。正義のジェノサイドはない。すべての戦争は平和を前提にしていたが、戦争は戦争をもたらすだけではないか。どんな戦争も勝てない。勝った瞬間に敗北が始まるのが、戦争である。彼らはいつも平和の名において、自由の名において戦争を始めるのだと言ったし、または世界大戦を、戦争を終息させる最後の戦争だとも言った。日本は、アジア共栄圏の平和のために太平洋戦争を始めると言い、米国はイラク国民の自由のためにイラク戦争を遂行すると言った。いつ、どこでも起きうるのが戦争である。プエブロ号事件のとき、ニクソン政府は北朝鮮に核爆弾を落とす計画を立ててから放棄したというが、その作戦の名前が「FREEDOM DROP」だった。

北朝鮮の自由のために核爆弾を投下するというものだった。最近も、米国は朝鮮半島で部分核戦争を起こす可能性もあると発言したそうだが、それが単純に北朝鮮に向けた威嚇用の修辞だけにとどまらず、私たちの心胆を寒からしめた。口で言うのは容易だが、部分核戦争は南北朝鮮の無辜の民間人数十万が破壊されることを意味しないか。戦争は一旦勃発すれば、独自の生命体のように、ひたすら前を見て突っ走る魚雷のように、破局に向かって突き進む。北朝鮮のやり方が憎く腹が立つ余り、正義の名において一撃を加えたくて部分戦争を云々する一部の極右分子の声も聞こえてくるが、朝米間の緊張状態がまかり間違えば一触即発の危機を生じかねない状況で、それはどれほど無責任かつ危険な発想だろうか。平和を生みだすのは平和であって、戦争が平和をつくるのではない。平和を創るのは理性と忍耐、寛容であって、憎悪や憤怒ではない。

済州4・3は米国が介入した事件なので、済州島は世界に向かって堂々と、戦争でなく平和を叫ぶ資格がある。それゆえに、盧武鉉政権が済州島を「世界平和の島」と命名した。「世界平和の島」として済州島ができること、すべきことが、まさにこの平和教育だろう。一時、4・3の惨禍で焦土化したこの島の地は、いまや美しい自然景観を誇る、平和と生命の地として復活している。世界の人々がここに観光に訪れ、4・3を通じて平和を学ぶことができたらいいと思う。

戦争の惨事を皮膚で感じさせ、そして忘れさせないこと、そうすることで多様な考え、多様なカラーの人間が共存できるよう他人の立場を推し量る想像力、すなわち易地思之の能力をつけてあげること、それが済州4・3ができる平和教育ではないだろうか。

(訳出=済州島四・三事件を考える会・東京)

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