朴堤上の夫人は、彼が倭に発った後、3人の娘を連れて鵄述嶺に登り祭祀を執り行い、むせび泣き、夫を呼びながら世を去ったという。
後世の人々は、朴堤上の妻が、夫が発ったという知らせを聞いて駆けつけたもののついに追いつけず、砂場に倒れて長らく慟哭したということから、その砂場を「長沙」(長らく慟哭した砂場)と呼んだ。
また、親戚2人が夫人の両腕を抱えて帰ろうとすると、彼女が足を伸ばして座ったまま立ち上がらなかったので、その地方の名を、後になって「伐知旨」(踏みとどまる地)と呼んだ。民謡「鵄述嶺曲」も、国の名誉を守り命を捧げた朴堤上を忘れられず歌ったものである。
壬辰祖国戦争の直前(訳注=1590年)、日本を通信使として訪れた黄進は、倭賊に対する限りない憎悪をもって朴堤上を偲び、このように詠った。
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