
善徳女王時代に完成した瞻星臺(慶州市)
新羅26代王眞平王が後継ぎなく没すると、その王女である德曼が後を継ぎ27代王、聖徳女王(?~647)となった。新羅初の女王である。
「三国史記」には眞平王の長女、「三国遺事」にはただ眞平王の娘と記録されている。「三国遺事」王暦編には「金氏の聖骨(貴族)男子が尽きた故女王を擁立した」(金氏聖骨男盡故女王立王)とある。
善徳女王はその在位初期において民衆の生活の安定に政策の主力を置き、多くの「福祉」を積極的に推進した。
たとえば農業発展のための天文台「瞻星臺」を建立、即位した632年には官吏を全国に派遣、連れ合いを亡くした男女や孤児、身寄りのない老人など弱い立場の人々を助けるよう指示し、翌年には多くの州や郡で税金を免除する措置を講じている。
また640年には王族の若者を数多く留学生として唐の国子監に派遣し、唐の文化を新羅が受容するきっかけとなった。
善徳女王はその治世の間、広く仏教を保護、芬皇寺や皇龍寺、霊廟寺など多くの寺院を建立し、経典の研究にも力を注いだ結果、我が国に仏教の一大勃興期をもたらした。仏法の修養のため慈蔵法師を唐に派遣、帰国後彼の発願で645年3月には護国寺である皇龍寺の高さ80mの九層塔を建立するに至る。
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