兄を見送った温祚は、臣下らと共に馬韓の河南、慰礼城(京畿道広州地方)に都を定め、小国を建てた。
温祚は最初の国名を「十済」と定めた。それは自分を奉ってきた10名の臣下の功績を後世に伝えようとするところからそのように名付けたといわれている。
その後、慰礼にくる時、数多くの民が付き従ったという意味から国号名を「百済」と改めた。
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