淵蓋蘇文は唐の領地深くまで侵入し、連行された蓋牟城の軍民をはじめ、数千の高句麗の人々を救出して悠々と凱旋の途についた。
唐の侵略軍は、陸・水軍100万のうち命拾いした者は僅か数千人に過ぎず、軍馬、1万余のうち本土に戻ることができたのは、わずか千余頭であったといわれる。高句麗軍は、戦争史上まれに見る戦果を上げた。その時から、唐の人々にとって淵蓋蘇文の名は恐怖の対象となった。
泣く子も、「淵蓋蘇文将軍が来るぞ」と言うと泣き止んだ、という逸話もこの時に生まれたものである。
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