曇徴は全てを最初から始めた。まず、質の高い墨を準備するよう手配しそのための技術的な指導を行う一方、自ら顔料を一つずつ製造した。そしてまた、日本では何処にも見られない非常に珍しい紙も作り上げた。
それだけではなかった。彼は「碾磑」と名づけた立派な水車を造った。この水車が設置されることで、人の力でなく、流れる水の力を利用して仏像彫刻と金属工芸品を作るうえで一つの変革がもたらされた。
とりわけ、農民たちが穀物を製粉し、手工業者たちが鉱石を粉砕するうえで革新がおきた。この稀な出来事に日本の原住民たちは、曇徴を「高句麗の僧侶様」と丁重に呼んだ。
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