しかし粛慎は、それに止まらず機会があるごとに高句麗に対する侵犯を事とした。
広開土王は、西北方面への進出を計画し、398年に粛慎を征伐した。
広開土王は、高句麗から遠く離れた粛慎に入り大々的な武力示威を行い、その足で加太蘿谷の住民300余人を連行してきた。
その威容に恐れをなした粛慎は、それ以後高句麗に毎年、朝貢するようになった。
粛慎の広い領地は高句麗の所有となり、半世紀の間一度たりとも高句麗の領土を侵犯されることはなかった。その後、粛慎は次第に高句麗に吸収され、隋、唐の侵略を撃退する戦闘にも合流したという。
*************************************
※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。
会員の方は、右か下にある「ログイン」項目にてログインしてください。
会員登録ご希望の方は、「新規会員登録」にてご登録をお願いします。
大変申し訳ございませんが、2013年4月20日までに会員登録をしていただいた方も、再度ご登録をお願いいたします。
パスワードを忘れた場合、「会員パスワード紛失窓口フォーム」をご覧ください。
*************************************